閑話3  善、見知らぬ大地に順応す

 きゅんきゅん、きゅんきゅんきゅん
 よくわからない何かの鳴き声で、善は目を覚ました。
「……?」
 始めに見たのは青い空だ。そしてその周りの緑。木々の合間に見える空には、眩い太陽が煌々と大地を照らしていた。それが、ゆっくりと視界を移動する。
(なんか、もふもふする)
 太陽の光で眩んだ目をこすりつつ、背中の違和感に気づいて身を起こそうとすると、胸のあたりで押さえつけるものを感じた。首を曲げて胸の上に乗った何かを見ると、『それ』はぎょろりと善の顔をねめつけて、にやりと笑った。
「起きたのかい?雷雨のキングメーカーさん」
 それは大きな蛇だった。善はぼうとする頭でたっぷり三秒数えた後、悲鳴を上げた。
「てめぇ、うるっせぇぞ!騒ぐなら背中から降りろ!」
 罵倒の後、体が宙を浮いて、地面にたたきつけられた。尻もちをつき、自分の状況が理解できずに目を白黒させていると、目の前に真っ赤な獣が現れて、がう、と一声鳴いた。
「間抜け面晒して居眠りこいてた阿呆め。歩けるなら自分で歩け」
「犬?」
「犬じゃねぇ狼だ!」
 がうがう、と威嚇する狼は、善の勘違いで無いならば、人間の言葉を喋っていた。善が何かを言う前に、先程の大蛇が勢いよく狼の胴に巻き付いた。
「ちょっと!僕まで振り落とすこと無いよね!ひどい!」
「酷いのはどっちだ。俺にばっかり重い思いさせやがって!」
 色々なことが一気に起こりすぎて、突っ込みきれない。善はそう思って、とりあえず引きつった笑いを浮かべてみた。
「俺、頭がおかしくなったのか?夢……?」
『ううん。これは現実』
 鈴の鳴るような声だ。善は周りを見回したが、周囲には緑しかない。
『はじめまして。ゼン。ウィンはウィン』
「巫女姫。その自己紹介はどうかと思う」
 けらけらと笑ったのは大蛇である。狼の胴をぎゅうぎゅうと絞めつけながら、ぎょろりとした目で善を見、鎌首をゆらりと揺らした。善にはそれがお辞儀に見えた。
「混乱させてごめんよ、善くん。僕はルナ。このすかした狼はレーヴァ。そして今の可愛い声の持ち主は、遠い場所から君を見守ってくれている巫女姫ウィンディアだよ」
 蛇。狼。姫。三つの単語が善の頭の中をぐるぐると回転した。
「意味わかんねー」
 言えたのはそれだけだった。狼の喉がぐるぐると鳴り、苛立たしげに大蛇の身体を振り落とす。
「お前の常識で考えても分かるはず無いな。この世界はお前の世界とは違う」
「世界?」
「歩きながら話そうよ」
 言いながら、歩くというよりは這うような動作で大蛇は動き始めた。狼もそれについてのそのそと歩き始めたので、善もとりあえず尻もちをついた腰を上げ、立ち上がった。
「どこ行くんだ?」
『ゼンの運命の相手の所』
 声――ウィンディアの台詞を聞いて、善は真っ先に想い人の姿を思い浮かべた。栗色の髪に琥珀色の瞳の美少女。思い出した後で、善は己の図々しさに赤面した。ただの片想いだというのに、運命の相手とか阿呆か、と己を責める。
 ルナが説明してくれたこの世界の常識というものに、善はあまり興味が無かった。いつの間にか左手の甲に浮かんでいた雷のような紋様にも興味がない。それよりも、そんな危険な世界に己と同じように落っこちてきたかもしれない妹分や想い人が無事でいるかどうか心配になる。
『カズハとミヤビは、大丈夫。シヴィがいるから』
 ウィンディアの言葉は説明不足で、何を言っているのかわからない。
「やっぱり、和葉と雅もこの世界にいるのか?」
『うん。シヴィは強いから、きっと二人を円卓の地まで連れてきてくれるの』
 やはり、何を言っているのかわからない。
「巫女姫は僕らの言葉がよくわからないんだ。イリシリスといって、特殊な人間の集まる集落では僕らとは違った言語を使うんだよ」
「もともとがこういう性格っていうのもあるけどな」
 ルナのフォローに、レーヴァがさらりと毒を吐く。ルナが再び狼の胴に絡まるのを見やってから、善は虚空を見やった。
「和葉や雅も誰かのキングメーカーなのか?」
『ミヤビはカズハのキングメーカーだよ』
 ということは、と善は僅か思考して、顔を歪めた。
「あいつ、大丈夫かよ……」
 思う人は、分不相応な身分を与えられて大いに戸惑っているであろう妹分である。彼女の元にも大蛇が訪れているのなら、きっと大変なことになっているだろうと善は想像して、つい笑ってしまった。
 レーヴァが鼻先を上げて、善の顔を見た。
「余裕だな、お前。普通はもっと警戒するぞ。能天気か」
「順応性が高いって言えよ」
 にや、と笑ってみた善に、レーヴァは大口を歪めて見せた。笑んでいるのだと善にはわかった。
「で、あんたらは何で喋るんだ?この世界の動物は皆喋るのか?」
「動物?無礼者、と言いたいところだけど、大事なキングメーカーにそんなことは言えないか」
 ルナは勿体ぶってそう言い、答えた。
「僕らは覇王に仕えるため、緑竜から生み出された聖獣さ。覇王が決まっていない今は、巫女姫に仕えている。ねぇ、姫?」
『二人は、とってもいい子』
 いい子と言われ、レーヴァはふん、と鼻息を吐きだした。
「キングメーカーごときのお守りを頼まれて断らない俺は、確かにいい子だな」
「こら、レーヴァ。憎まれ口を叩かないの」
 長い尾で狼の頭をぺしぺしと叩いて、ルナは窘めた。
「ほら、レーヴァの大好きな雷雨の円卓の王はもうすぐだから、機嫌を直しなよ」
「……別に、俺はあいつを認めたわけじゃ……」
 レーヴァはぼそぼそとそう言ったきり、黙り込んだ。ルナが楽しそうに笑って、善を見下ろした。
「レーヴァは雷雨の円卓の王びいきなんだ。僕も彼は嫌いじゃない。君もきっと、気にいると思うよ」
 ふーん、としか善は思わなかった。
『贔屓、だめ。巫女と聖獣は中立じゃないと、だめ』
「今だに『百年の奇跡』をバイブルにしてる巫女姫に言われたくないなー」
『……だって』
 ウィンディアは不満そうにしながら、押し黙った。善はこの三人の力関係を推し量り、苦笑した。
「なにがなんだかわかんねぇけど、とりあえず、よろしくな」
 善がそう言うと、ウィンが嬉しそうに返事をした。
『これで円卓が埋まる。善、来てくれて、ありがとう』
 鈴のような声がそう言うので、善もとりあえず、笑った。

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