閑話2  シルヴィスと雅

「しるしるしるしるしる―――――!」
 それは、待ち望んだ最後の円卓の王とそのキングメーカーがこの世界に現れてから間もないころ、赤の一族の砦でシルヴィスが執務に没頭している時に起こった。書類に目を落としていたシルヴィスは、執務室に嵐のごとく現れた和葉に目を向けつつ立ち上がり、傍らに置いてあった銃を手にした。
「いったい何事だ!敵衆か!」
「雅が周回中にヒットポイントゼロになって倒れた!」
「な――」
 シルヴィスは力を抜き、銃を机に置いて項垂れた。
「それが人を汁物のごとく呼びつけながら現れてする報告か……」
「何その反応!もっと心配してよ!」
「……。……何故お前が怒る……」
 シルヴィスはくらくらする頭で考え考え、やっとそれだけを言ってから、机に置いた銃を再度手にとってホルダーに着け、ふらふらと歩き出した。
「あ、あれ?どこ行くの?」
「貴様が心配しろと言ったんだろうが。医務室に行く」
「なんでそんなにふらふらしてるの?」
「自分の頭に聞いてみろ」
 毎日毎日、鍛錬と称しては備品の剣を折り、魔法の練習と称しては誤って魔術書に飲み物を零すばかりか、身の回りのものに火を点けて小火騒ぎを起こす問題児は、己の起こした事件の後始末をする者――すなわちシルヴィス――の苦労など何も分かっていないらしい。訥々と説いたところで無駄なことは既に承知していたので、シルヴィスは後ろで「頭に聞いたってわかんないよー、馬鹿だもん」と開き直る声を無視した。心の中で「馬鹿め」と罵倒するのは忘れない。これくらいは許される。
 二日あまり一睡もしていない体をおして医務室に入ると、寝台に腰をおろして互いに顔を合わせている雅とユエの姿があった。ユエは発明家であり医者でもあるので、普段は人の足りない医務室に応援に来ていることが多い。
 医務室に入ったシルヴィスの姿を認めると、ユエは雅に何やら言った後、こちらに近づいてきた。
「異世界転移の負荷による魔族化現象の副作用が強く出ているわ。もともとそれほど体が強くないのが、負荷のせいでもっと弱くなったのね。日常生活になんら支障はないけれど、これ以上の肉体強化は望めないわ。その代わり――魔術適性は魔王クラスよ」
 魔法は万能ではない。強い魔力を手にするためにはそれ相応の対価が必要だ。それが雅の場合、肉体の虚弱化――具体的にいえば、周回中に倒れるほどの持久力の低下に現れているらしい。
(魔王クラス……)
 それはとんでもない量と質の魔力を雅の身体が秘めているということだった。人間であるシルヴィスには想像もつかない。
「和葉の方は?」
 本来、魔王となるべきは円卓の王である和葉だ。シルヴィスが問うと、ユエは渋い顔をした。
「和葉の適性は肉体強化の方に偏っているの。色々と試験をしてみたけれど、他にこれと言って強い適性は無いわ。しいて言うならば、火の魔法と『渡り』の能力の適性が少しだけ強かったかしら。でも、空間転移できるほどの力はないわね」
 渡りとは空間転移――テレポーテーション――の能力を指す。頭に思い描いた場所に、次の瞬間には辿り着くことができる特殊な魔法だ。存在は確認されているが、その魔法を習得できるほどの技術を持った魔族は無きに等しい。勿論、人間ではどうあがいてもなしえない芸当である。
「分かった。得られた情報を踏まえて計画を構成しろ」
「了解」
 ユエは眼鏡の奥でウインクしてから、医務室を出て行った。口頭報告の他にも報告書を作成するつもりなのだろう。長年の付き合いでユエの行動はいくらか推察することができる。……問題は。
「雅、昨日も言ったはずだ。お前は適性を活かして魔術の鍛錬を中心に行え。砦の周回は和葉に課した鍛錬であって、お前に適した鍛錬じゃない。何故言うことを聞かない?」
 言った途端、雅は眉を顰めた。目を合わせない雅の態度に、シルヴィスは先程ユエがそうしていたように、雅の隣に腰を下ろした。体重でぎしりと寝台が軋んだ。他の部屋の寝台は岩でできているが、医務室の寝台だけは木製である。
 これは寝心地がよさそうだと思っていると、雅が不満そうにシルヴィスの顔を見ていた。
「何が気に入らない?」
「なんでそんなこと聞くの」
 雅は言ってから、再び顔を反らした。シルヴィスは雅の横顔を見つめる。
 黒目がちの大きな目に、伏せった長い睫毛が物憂げだ。全体的に小作りな美貌が、シルヴィスに親近感をわかせた。可憐な容姿に鈴の鳴るような声が、よく知った妹や妹のように思っている少女を思い出させる。
「理解できない」
「何がだ」
「どうしてそんな真っ青な顔になるくらい、世界のために働けるの」
 シルヴィスは瞬いた。そんなこと。
「使命だからだ。キングメーカーとして生まれた身としては当然の働きだ」
「理解できない」
 雅は再度呟くように言った。
「どうしてそんなに純粋になれるの」
「………」
「他人のためにどうしてそこまで一生懸命になれるの。理解できない。なんでここに来たの。あたしなんてつい先日会ったばかりの赤の他人に等しい存在じゃない。どうして?和葉に言われたから?放っておけばいいじゃない」
 雅は目を合わさないまま、一息にそう言った。シルヴィスは立ち上がって、くらりとした頭を抑えつつ、雅の前に跪いた。驚いた雅が顔を背ける前に、両手で彼女の頬を押さえる。その琥珀色の瞳を見ながら、伝えた。
「仲間だからだ」
 雅はしばしきょとんとしてから、泣きそうな声を出した。
「命令するくせに」
「心細いのか?」
「仲間とか知らない」
「何を混乱している?」
「全然理解できないし、上から目線だし」
「今は見下ろしているだろう」
「き、嫌い」
「私は嫌いじゃない」
「だ、って、――もういいっ」
 雅はシルヴィスの手を振りほどいて立ち上がった。そのまま逃げようとするのを、シルヴィスは本能的に捕まえて、――自分でもよくわからないままに、衝動的に胸の中に閉じ込めた。
「離してよ!」
「お前は和葉のことばかり考え過ぎだ」
「!」
 雅の抵抗が止んだ。
「少しは自分のことを考えろ。異国の地で心細くなったり、自棄になったり問題児になって気を紛らわしたりできる権利はお前にだってあるんだ。問いを返そう。どうしてそう、良い子に徹する必要がある?和葉に加えてお前まで小火騒ぎを起こして赤の一族から大ブーイングを貰おうと、それでお前たちを追い出して砂漠で干からびさせる刑を執行するような男に見えるのか、私が」
 そう思われているなら全力で否定する。他人に対して偉そうなのは癖であり自覚している事でもあるので指摘されても何も言えないが、それは誤解だ。
「よし。泣け。今すぐ泣け。――見ていない」
 自分でも何を言っているのかわからない。だが、雅はシルヴィスの胸に顔を押し付けて、ぶつぶつと何事かを言った。「馬鹿じゃないの」とか、「別に泣きたくないし」とか可愛くない言葉が聞こえたが、その実、雅は逃げようとはしなかった。
 暫くしてユエが戻ってくるまで、雅はシルヴィスの腕の中で動かなかったが、ユエの存在に気付いた途端、雅は飛び上がって離れて、シルヴィスを睨みつけた。
「ば、ば、馬鹿!嫌い!」
 その言葉はシルヴィスに向けてのものではなく、二人の様子をにやにやと黙って見ていたユエへの牽制の言葉であることはすぐに分かったが、シルヴィスは少しだけ傷ついた。
 言い捨てて脱兎のごとく逃げた雅を見送って、軽い溜息をつく。未だににやにやしていたユエが、「ヒビキにも言わなくちゃ。我らのシヴィ様に春が訪れたって」と揶揄したので、シルヴィスはさらに眩暈を起こした。
「やめろ。ただでさえくらくらするのに」
「折角だからそこで寝ていきなさいよ。――それにしても、雅のあんなに焦った姿、初めて見るわね。和葉も知らない姿、見ちゃったかも」
 くす、とユエは笑う。
「もしかして、シルヴィスにだけ、なのかしらね?」
「………やめろと言っているだろうが」
 シルヴィスはそう言ってから、顔を押さえた。

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