仮面の道化師

 2

 時は遡る。

 赤の一族の援軍を待つシルヴィス達連合軍のもとに、不可解な書状が届いた。

 シルヴィス、緋鶯、天藍、ヘリオス、イクス、壬弦、そして雅はその書状を置いた円卓を囲んで、しばし口を噤んだ。一番先に口を開いたのは、短気なイクスだった。

「罠に決まってます」

 イクスは真直ぐにシルヴィスを見ていた。

「今さら休戦協定だなんて、あの狡猾なシャイオンが言い出すわけがない。それに――」

 次いで書状を睨み付ける。

「『逆賊チェリックの処刑を平和への象徴とする』?狂ってやがる」

「逆に、狂っているからこそ真実味もありますねぇ」

 ヘリオスがのんびりと言った。

「大切な唯一の王子であるチェリックの命を捧げると言ってしまえるほどに、この戦を終わらせたい理由があるのかもしれませんよ」

「理由……国民を戦に巻き込むのに気が引けたとか?」

 緋鶯の言葉に、イクスがあからさまに溜息をつく。

「脳ミソお天気なのもほどほどにしといたほうがいーですよ」

「イクス」

 シルヴィスの咎める声に、イクスは閉口した。緋鶯のほうは気にしていないらしく、天藍と顔を合わせる。視線を受けた天藍は首を傾げた。

「僕は、その処刑の場に緋鶯の同席を条件としているのが気になるな。いや、王である君が選ばれるのは筋が通っているけれど……」

「ピンポイントに緋鶯の名前しか書かれていないものね。まるで、連合軍宛てではなくて、緋鶯宛てみたいな書き方」

雅が言うと、今度は緋鶯が首を傾げた。

「俺宛て……?」

 少し考えるようなそぶりをした後、うん、と頷き、書状の一部を指さす。

「じゃあ、俺、行くよ。このなんとか平野ってとこ。――チェリックを助けに」

「カルタ平野。シャイオンとの国境ですね」

 ヘリオスが補足するが、他の者はそれどころではない。

「緋鶯、何を言い出すんだい?」

「暑さで頭が湧いて来たのではありませんかセレズニア次期国王陛下」

 天藍は唖然としているし、イクスは口端が引き攣っている。

「だってさ、」

「貴方が心優しいのはすでに承知しているが、今の発言はあまりにも荒唐無稽だ」

 シルヴィスも容赦がない。壬弦は言葉なく、おろおろと周りを見回していた。

「緋鶯――」

「雅、あんたまでそんな目で俺を見るなよ」

 緋鶯はふて腐れたようにじとっと雅を見てから、頭を抱えた。

「だってさー!こんなのってあんまりだろ?チェリックは酷い奴だけど、こんな終わり方ってあるか?絶対におかしい!なんで自分の母親に捕まって、いらないって言われて、味方のはずの奴らに殺されなきゃならないんだよ!」

「………」

 シルヴィスが眉を寄せた。それを見たイクスに火が付いた。

「うるっせーな!黙れこの脳内お花畑!」

「なんだと!?」

 今度ばかりは緋鶯も聞き流さなかった。一触即発の雰囲気の二人の間に、雅が手を差し入れる。

「ストップ。落ち着いて。ややこしくしないで」

「んだ、この――」

「何?」

 睨み下ろしたイクスを雅は静かに見上げる。う、とイクスが小さく呻いた。渋々といった風に乗り出した身を元に戻す。

「――やっぱ苦手だ」

 小声でぼやいた一言が気になったが、雅は緋鶯に向き直る。

「緋鶯。チェリックを助けに行こうと味方を募ったとしても、この通り皆乗り気にはなれない。兵士たちだって同じ。いいえ、それ以上に反発するよ。今まで、チェリックとは敵として戦ってきたし、彼はあまりにも酷いことをしていたから」

「うん……」

「正当な理由でなければ、部下の命を賭けることはできない」

 シルヴィスが言った。

「うん、ごめん。俺が間違ってた。もう言わな――」

「だが、一つ、正当な理由がある」

 皆がシルヴィスに集中した。シルヴィスは何故か、雅を見ていた。

「『不死の妙薬』」

 は、と雅は目を見開いた。

「あの毒々しいまでの赤い瞳。雅が飲まされかけた液体。背後のリクドウェル・ウィンダー。実際に確認してはいないが、あの男は『不死』の体である可能性が高い」

 ヘリオスが沈思するように俯いた。シルヴィスは続ける。

「チェリックの首と胴が切り離され、死んだと思われたまさにその時、首だけ男の高笑いが処刑場に響いたとしたら――」

「大パニックですねぇ。禁忌の一族と彼らが研究していた不死の妙薬が世の中に知れ渡り、緑竜の身が危険にさらされる」

 ヘリオスの言葉にイクスが片眉を上げる。

「なんでそこで緑竜が出てくるんだ?」

『それは、不死の妙薬が緑竜の血からつくられるから』

 どこからともなく鈴の鳴るような声がしたかと思うと、シルヴィスが懐から何かを取り出した。

 それは竜の装飾が施された、手の平大の懐中時計だった。魔法具なのか、緑銀に淡く光っている。

『初めまして、雅。ウィンはウィン。緑竜の巫女。約束の地まで、王を導くもの』

 どうやら、魔法具からの謎の声に驚いているのは雅だけのようだった。

『シヴィ。貴方の懸念は正解。仮面の道化師は既に「罪人」。その不死の先に待つのは、偏に絶望と、黒兵への道。そして、多くの狂人。生まれた狂人は、緑竜の血を奪おうとする。人は愚か。歴史はいつも繰り返される』

「それは、つまり――」

『緑竜からの言葉を告げる。「チェリックの処刑を食い止めなさい」……以上』

 緑竜はこの世界の神に等しい。その巫女からの言葉は、まさに神託だ。

 チェリック救出作戦の実行を決定した連合軍は、表向きは休戦協定会議への出席を目的としてセレズニアを発つこととなった。勿論全軍行軍ではない。トロイド王立騎士団の総司令シルヴィスとセレズニア次期王緋鶯が中心となって指揮を執り、天藍率いるセレズニア皇軍は留守番の形となる。

 雅はいつの間にか組していた騎士団の魔法兵として重宝され、有事の際の後方支援を目的にカルタ平野まで赴くこととなった。気が重い。

 覚悟を決め、帝宮の武器庫で手軽な武器を探した。この先の行軍を思って己の体力の消耗を危惧していた雅の手を取り、杏珠が請う。

「お願い!後方支援なら大丈夫。あたしもちょっとなら魔法を使えるし、役に立つから!あたしも一緒に連れてって!」

「杏珠、緋鶯と天藍にダメだってきつく言われてたじゃない」

「あの二人は心配性なのよ!」

 杏珠はぷりぷりと怒っていた。雅は首を横に振る。

「だめったら、だめ」

「いじわる!もうクッキー作ってあげない!」

 雅は困惑する。杏珠のお菓子は絶品だ。甘いものが大して好きではない雅でも、毎日食べたいと思えるくらいに素晴らしい。

「だ、だめだって」

「こら。今から戦地へ赴こうとしているお嬢さんに我儘を言ってはいけませんよ」

 のほほんと歩いて来たのは、留守番組のヘリオスだ。

「だ、だってー」

「そんなに弟君の事が心配ですか?……それとも、チェリック殿下の事が?」

 杏珠の表情が凍った。雅は思わずヘリオスに非難の視線を送る。

「すみません。出過ぎたことでしたね。私には、貴方が嫌々チェリックの傍にいて、歌を聞かせていたとは思えなくて」

 その口調は謝っているようには聞こえなかった。

「一組の男女が半年も一緒に住んでいて、何の感情も芽生えなかったとは考えにくい。貴女は、チェリック殿下に会いたいのでは?最期になるかもしれないから――」

「ヘリオス!下世話なことを言わないで」

 雅が声を荒げると、ヘリオスは意外そうに瞬きした。そして、余裕の笑みをもう一度顔面に貼り付ける。

「申し訳ありません。シルヴィス様の足手まといになるような事象が起きてしまうと考えると、我を忘れてしまう悪癖がありまして。お許しください」

 ヘリオスはそう言い、さっさと武器庫を後にした。いったい何のために来たのだか分からない。

「杏珠、気にしなくていいよ」

「ううん。ヘリオスの言っていることって、もっともだから」

 傷ついた様子の杏珠を気遣うと、そんな言葉が返って来た。

「雅……あたし、チェリック様に会いたいの」

「え?」

「会って、言いたいことがあるの。ずっと、言えなかった。言わなくちゃいけなかった事があるの」

―――――

 白と黒のコントラストの中央。真白の中の緑の一画。そこは少年が生まれた年に記念に造られた花園。潮風漂う薔薇の園。いばらの囲い。

「はぁ、はぁ」

 息を切らせて掻き分ける。追ってくる怒声に捕まらないように、奥へ、奥へ。

「はぁ、は、はぁ……っ」

 じくじくと熱を持つ傷を掻き毟り、強く己を抱きしめる。

 そうすると、酷く忌まわしいものが目の前にあることに気づいてしまう。

「はぁ、う、うぅ」

 こんなものが。

 こんなものがあるから。

「死ね。消えろ」

 喉の奥から漏れ出る怨嗟の声。

「死ね、死ね、死ね!」

 いばらが刺さる。掻き毟る。いばらが刺さる。掻き毟る。

「どうして、どうして、消えない!死なない!こんなもの、こんなもの!」

 がり、と刺したところで、少年は動きを止めた。

「う、あ、うぅぅ、あああ、うああぁあ、お母さん、う、あああ、痛いよ、あああん」

 右手に雨が降った。赤い傷に浸みていく。浸食していく。

「お母さん、助けてぇ」

「痛い。痛いよ、」

「うああん、」

「あああ、」

「まあまあ、どうなさったのこんなところで」

 少年は顔を上げた。雨の降る顔面にできた裂傷を、優しい指が撫でつける。

「こんなに棘が刺さって。可哀想に。お母さんが治してあげますからね」

「ひっく、うぅ、お母さん」

「ええ。貴方のお母さんですよ。さぁ、お部屋に戻りましょう」

 促されるまま、少年は立ち上がった。

「もう、貴方を離したりしません。ええ、だって貴方はわたくしの可愛い息子だもの」

「……」

 いばらを掻き分けた両手が少年の肩を抱きしめる。

「血が、出てるよ」

「いいのです。貴方を見つけられたから」

「そう……」

 傷ついた白魚のような手が少年の赤い右手をとり、歩き出した。

「血が、ついちゃうよ」

「いいのです。貴方と手を繋ぎたいから」

「そっか……」

 少年はいばらを踏みつけながら、いつの間にか降らなくなった雨を拭った。

「かめん……」

 仮面の、道化師。

――――

 見えない壁が、和葉と彼らの空間を仕切る。

和葉は女と少年を見つめながら、壁に当てていた手を強く握った。

これは夢だ。現実に起きたことではないかもしれないが、ジェイムの例もある。和葉はやりきれない気持ちになった。

「どうして、前とは違うんだろう」

 知らず零れた不満に、いつの間にか現れていた王子様が答える。

「妖蟲は何でもいいから救済が欲しかった。でも、彼は違います。彼が欲しいのは――」

 王子様の言葉が一瞬途切れる。

「彼が欲しいものは、母親からの愛だけ。他は何もいらないのでしょう」

「だから、私が入ってはいけないの?」

 王子様は頷いた。

「唯一、彼を救える存在がいるとすれば……それは歌姫以外にいないでしょう」

「歌姫って、えーと、アンジュって人?」

 王子様は優しく微笑んだ。

「――彼女の歌には無償の愛があります」

「母性ってやつ?」

「ええ、たぶん」

 王子様は少年の背中を見つめて、目を細めた。

「王子様……?どうしたの?」

「あ、いいえ。何でもありません。さぁ、もう起きる時間ですよ。あと二日行軍すれば、カルタ平野へ着くでしょう」

 セレズニアを通り過ぎた和葉たち赤の一族は、先に進んでいた連合軍を追う形で進んでいた。

「あーあ、また今日もお馬さんのお世話になるのかぁ」

「……和葉さん」

「うん?」

 見上げると、驚くほど近くに王子様の顔があった。

「え、えーと、王子様?」

「………」

 王子様はいつもの穏やかな笑みを消して、無言で和葉の顔を覗き込んでいた。その綺麗な顔を間近で見てしまって、和葉はどぎまぎする。

(どどどどど、どうしよう!私には善兄が!)

「………」

「………」

「………。変態には、お気をつけて」

「………。へ?」

 目を覚ました和葉は、王子様が真顔で忠告した意味を理解した。

「へ、へ、へ、」

 和葉の寝ていた毛布の中に、浅黒い全裸の男が寝転がって寝息を立てていた。

「へんたぁぁぁぁぁぁーい!!!!」

 そうして直ぐに血気盛んな少女が駆けつけてくるのは、最早朝の決まり事である。

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