歌姫

   4


 トロイド王立騎士団。世に名高いその集団の精鋭であると告白されて、驚かないはずがなかった。事実、緋鶯の宣誓の前にそれを明かされた雅は小一時間ほど放心していた。
 トロイド王国は前覇王レイヴィスが治めた、世界一の面積、世界一の人口、世界一の経済力を誇る王国だ。その王国一の軍事力を持つ王立騎士団の精鋭部隊、第六師団に己が知らないうちに組み込まれていたということだけで眩暈がするのに、シルヴィスはその総司令だというのだからぞっとする。第六師団の総司令なの、と現実を受け入れきれない雅が愚問を零すと、シルヴィスは真顔で否定した。
「第六師団は第一から第五までの師団長と副官、それぞれの腹心の騎士が属する精鋭中の精鋭部隊だ。私はその第六師団長であり、王立騎士団の総司令でもある」
(あんたがワーカホリック気味なのはそれが原因か)
 雅は口に出さなかったが、シルヴィスは雅の何とも表現しにくい視線の意味を正確に悟ったらしい。
「憐れみの目で見るな。余計に胃が痛む」
 冗談なのか本気なのか、雅にはわからなかった。


 歌姫が解放され、緋鶯が宣言したのを受け、真直ぐにこちらに向かっていたチェリックの軍隊が方向を変えて国へ戻って行ったという情報を得た緋鶯、天藍、第六師団の面々は、直ぐにはシャイオンを攻めず、ヒビキたち援軍の到着を待つことにした。
 遠くの仲間たちは攻め込んできた蟲の一族を見事追い払い、つい先日、ジャオでの死闘を勝利の形で終えたようだ。その結果はセレズニアの民を勇気づけた。
 援軍の到着には一週間ほどの時間がある。雅はその間、知らず組み入れられていた第六師団という組織の知識を仕入ること、戦闘に備えて魔法の強化を行うことに時間を使うことにした。
 第一区画のはずれにある軍用練習場で魔法の鍛錬を終えた雅は滞在先の帝宮へ戻り、ぺらりと羊皮紙を広げた。
 王立騎士団組織図と物々しく銘打たれたそれは、己の属する組織について知っておきたいと言い出した雅にシルヴィスが与えたものだった。

 ――『王立騎士団組織図』
トロイド国王 ルシィル・トロイディアの名において、以下の者を任命する。
  総司令 シルヴィス・エリス
  第一師団 師団長 参謀 コーダ・ダルト 副官無し
  第二師団 師団長 将軍 赤のヒビキ 副官無し
  第三師団 師団長 軍医 ユエ 副官 リース・ダルト
  第四師団 師団長 魔術隊長 白のキュイ 副官 ヴィスタ・エリス
  第五師団 師団長 監察 カーク・ダルト 副官 メリッサ・ダルト
  第六師団 師団長 特務部隊長 シルヴィス・エリス 副官 青のイクス・ダーマイン
  第六師団 客員騎士 ヘリオス・ゲートリッジ卿 グリンクレッタ・ゲートリッジ嬢
 上記の者は又、第六師団に属するものとする。――

 知っている名前が多い。多すぎる。雅は頭を抱えたくなった。
(ヒビキが将軍、ユエが軍医、グリンクレッタが客員騎士――)
 個性豊かな組織なのだろう。その情報だけで推察できる。シルヴィスの苦労が忍ばれた。
(そしてダルトが多い。脅威のダルト率。まともな人たちだといいけど。ユエの副官もダルト。あのユエの副官ならまともな人が選ばれるに違いない)
 その楽観は一月も経たずに打ち破られることになるのだが、今の雅には知る由もない。
「お勉強をしているのですか?」
 共有スペースで堂々と羊皮紙を広げていたのだから目立たないわけがない。通りがかったヘリオス・ゲートリッジが雅の許可なく隣に座った。
「情報を整理しているの。あなたは?」
 暇なの?と問いかけてやめた。優しげな風貌の男だが、あのグリンクレッタの兄だ。きっとまともな人間ではない。失言をしただけで上から目線プラス鼻で笑われるか、キレられるかのどちらかだと思った。
 雅の失礼な脳内会議のことなど知らないヘリオスはにっこりと笑った。
「今用事ができました。私でよろしければ、第六師団のメンバーについてお話ししますよ」
 案外いいやつかもしれない、と思うのは早計だろう。雅は思いながらも、申し出を喜んで受け入れた。
「第一師団長のコーダ・ダルトは組織一の苦労人です。第二以下のくそったれどもを取り纏め、個性豊かな面々からなる作戦を考えるのが仕事です」
 初っ端から来た。ヘリオスは「くそったれってなんですか?」と言い放ちそうな顔をしているくせに辛辣である。
「ヒビキのうすらバカとユエ嬢は知っていますね。ユエ嬢の副官リース嬢はコーダ・ダルトの妹君です。マッドサイエンティストという言葉が笑えるほどに変人で、密偵の壬弦君をパシリに使って日々怪しげな魔法薬を開発しているとか」
「あのユエにさらに変人の部下……」
 雅の口端が引き攣る。ヘリオスは雅の表情を楽しげに見た。いい性格をしている。
「第三師団には近寄らないほうがいいですよ」
「言われなくてもそうする……」
 力なく答える。不安だ。
「第四師団のキュイ君は魔術学校を一年で、それも首席で卒業した天才ですが、かなり気難しい子で、気に入らない人間には容赦なく切り裂き呪文を放つとか」
「いや、なんでそんなのばっかり幹部に選ぶの。ねぇなんで」
「さぁ?国王陛下のお考えは私には難解すぎて理解できかねます」
 ヘリオスは肩を竦めた。雅は肩を落とす。
「キュイ君の副官はヴィスタ様です。ヴィスタ様もキュイ君と同じく魔術学校を卒業されていまして――とにかく可愛い。月もすっぽんも豚も真珠も飛び上がるほど可愛らしい!」
 物凄い強調の仕方だ。鬼気迫るその様子に、雅は若干引いた。
「そんな可愛らしくてどうしようもないヴィスタ様は、シルヴィス様の妹君でもあります」
 あ、と雅は気付いた。シルヴィス・エリスとヴィスタ・エリス。なるほど、ファミリーネームが同じだ。
「シルヴィス様は可愛らしい妹君をそれはそれは、目に入れても痛くないほど溺愛なさっていて、実際にヴィスタ様がシルヴィス様の目の中にリース嬢特製の薬品を差し入れても笑って許したという逸話が――」
「それ冗談だよね」
「さぁ?」
 にこっと笑まれる。うすら寒い話だ。
「第五師団はカーク・ダルト卿、メリッサ夫人の夫婦が治めています。このおしどり夫婦は王立騎士団の中で一番の癒し系ですね。コーダとリース嬢の……特にリース嬢の両親とは思えません」
 一家で王立騎士団に所属しているらしい。エリート一家だ。
「さて、大体お話ししましたね……。ああ、ついでにシルヴィス様の金魚の糞、イクス・ダーマインとリース嬢の尻に敷かれまくりな哀れな壬弦君のお話もしましょうか」
 ヘリオスが言った時、おい、と背後から声がした。
「面白い話をしてるなと思ってたら、誰が金魚の糞だ?あぁ?」
 何とも柄の悪い口調の青の一族の青年が、小柄な青年を率いて立っていた。まるで不良とそのパシリである。
「い、イクスさんっ、ヘリオス様に向かってその態度はダメですよ!」
 弱弱しい風格の青年だが、案外根性はあるのだろうか。壬弦はおどおどとイクスを窘める。
(根性なければこの組織でやっていけないよね……)
 もはや遠い目となった雅を蚊帳の外において、三名がわいわいと口論する。男も三人集まれば姦しいのだろうか。そんなことないはず。
「金魚の糞でしょう。いつもいつもシルヴィス様の後をついて回ってうらやま――鬱陶しい」
「今本音が出たな?俺のことが羨ましいっつったよな?」
「いいえ?恨めしいと言ったんです」
「女々しいのはあんただろうが!」
「聴覚に異常をきたしているようで……それか、脳に、でしょうか?」
「訳わからない事言ってんなって!あんた、そんなに俺と一勝負したいわけ?」
「そうですね。このまま口で喧嘩をしていると、貴方の馬鹿さが露呈しますし」
「よーし!表出な!」
「けちょんけちょんにしてやりますよ。そしてあわよくばシルヴィス様の副官の地位を手に入れて……くく……」
「気持ち悪い!もう話すな、行くぞこの野郎!」
「あ、ちょ、ちょっと。私闘はシルヴィス様に禁止されて――」
「金魚の糞の糞は黙ってろ!」
(あ、今自分で金魚の糞って認めた)
「おい、こいつ連れてくからな」
「煩くてごめんなさいね、雅さん」
「それでは雅嬢。今日はこの辺で失礼しますね」
「あ、うん。ありがとうね、ヘリオス」
 表に出る前に剣を抜きそうな気配だった彼らだが、意外にも雅に挨拶する余裕があるらしかった。ヘリオスは雅の礼にくすっと笑って、「今度は貴女の部屋で二人っきりでお話ししたいものです」と囁いて去っていった。冗談だろう。
 罵倒のし合いがいつの間にか、どちらがよりシルヴィスを愛しているかの言い合いに代わったのを最後に、騒々しい声が聞こえなくなった。本当に、本当にシルヴィスの苦労が忍ばれる。
 与えられた執務室で胃を痛めているシルヴィスを想像すると、雅は涙が出そうになる。
「あ、雅ーー!ここにいたんだね!」
 無心に羊皮紙を巻き直していた雅を見つけ、杏珠がきらきらとした目で駆け寄ってきた。
「時間ある?雅と一緒に食べたくてお菓子を焼いたんだよ。お茶にしよう?」
 雅は二つ返事で受け入れた。


 第六師団の面々と違い、セレズニア幼馴染組のなんと癒されることか。
 特に杏珠だ。焼き菓子を雅の前において頬を染める彼女のなんと可愛らしいことか。
「雅は甘いものがそんなに好きじゃないって聞いて、甘さ控えめにしたんだよ。口に合ったらいいんだけど」
「……美味しい。すごく美味しいよ。お菓子作りが得意なの?」
「うん。孤児院にいたころは弟たちにいつも焼いてあげてたんだ。――雅が入れたお茶も美味しい!」
 ほのぼのとしている。微笑みあう二人を見て、同じ席についていた緋鶯と天藍が視線を交し合った。
「おい、杏珠――」
「わかってる。あのね、雅。あたし、雅にお礼を言いたかったの」
「お礼?」
 なんの?と雅は首を傾げた。緋鶯と天藍の危機を気合で助けたあの件なら既に礼を言われているし、そもそも礼を言われるべきことではないと思っていた。雅は任務のために『歌姫』を殺させてはならなかったのだ。――雅の感情は抜きにして。
「扉の外から声をかけてくれたでしょう?緋鶯と天藍を突き放したあたしを叱ってくれた。あたしね、それで気づかされたの。あたしの知らないところで緋鶯と天藍が戦って、あたしのために来てくれた。なのにあたしは二人を突き放して――傷つけたんだって」
 あたしを叱ってくれてありがとう、と杏珠は素直に言った。
「………」
 雅はどういたしまして、と言えなかった。こんなありがとうを雅は知らなかった。
(ありがとうだなんて……私は言いたいことを言っただけで……)
 杏珠の目は透き通っていた。澱みない清らかな心で雅に礼を言った彼女が輝いて見えた。
 じわじわと消したい記憶が蘇る。冷やりと掛けられる叱咤の言葉に、雅は俯いて耐える。ありがとうなど言えなかった。優しい叱り方など知らない。礼を言われる叱り方など知らない。傷ついた心が冷え込んでいく。
 ただ、冷たい。氷のように冷たい。
「雅?どうしたの……?」
 雅は目に浮かびそうになった涙を、首を横に振ることで誤魔化して微笑んで見せた。
「どういたしまして」
 うまく言えただろうか。言えたのだろう。杏珠はほっとしたように笑って、焼き菓子を頬張った。緋鶯も天藍もそれに倣って口に含む。
「ありがとう」
 雅はもぐもぐとネズミのように焼き菓子を食べる三人に言った。三人は首を傾げる。
「あ、えっと。素敵なティータイムに招待してもらったから」
「むぐ。なんだよ、変なこと言うなぁ。これから毎回呼ぶんだぜ?」
 え?と雅は目を丸くした。
「俺たち、友達じゃん。なー?杏珠、天藍」
「うん!あたし、雅ともっと仲良くなりたいな!」
 天藍は微笑んで、悪戯っぽい目をした。「君も捕まったね?」という目だ。
「ふふ、」
 温かい。なんて温かいんだろう。
「私、好きだな。貴方たちのこと」
やめろよシルヴィスに睨まれる、と緋鶯が声を上げた。

―――――

 セレズニアを目前にして、バカな母親から伝令が届いた。
『至急、王城へ戻りなさい。これは王妃としての勅命です』
 勅命ならば仕方がない。身を切るような思いで馬首を翻した僕は、軍隊を率いてシャイオンへ戻る。
 約半年ぶりのシャイオンへ戻ると、バカな母親のバカな家来たちが僕を取り囲んで押さえつけた。軍隊は僕から離れてバカな母親に労われる。
『よくぞ反逆者を連行しました。褒美を与えましょう』
 反逆者?何のことだ。
 思い当たることがないわけではなかった。杏珠を歌姫だと偽り、緋鶯と天藍を野放しにしたのは立派な反逆だろう。
 だが、僕は『仮面の道化師』を持つ王だ。どんな罪を犯したとしても、バカな母親が僕を反逆者と言うわけがない。
 僕の王印にはバカな母親のバカな夢を叶える力がある。だから僕は許されるし、祝福される。
『グリンクレッタ。貴女のお蔭で、わたくしはバカを見ずに済みました。「歌姫」がまさか、女の子ではなかっただなんて――』
 ああ、とバカな母親は少女めいた声を出して額を押さえる。バカがバカを見るのは当然のことだろう。
『チェリック。わたくしの可愛い王子だった子。貴方はもういりません』
 僕の思考が停止した。どうしてそうなる。
『わたくしの夢は、もう叶いそう。だからもう、貴方は厄介なだけの道化師なのです』
 バカな母親はバカみたいな口調でバカげたことを言い、バカな沙汰を僕に下した。
『反逆者は死刑ですよ。チェリック』
 バカな母親の、バカな十八番だ。

―――――

「まさに地獄の沙汰ってわけかー」
 闇夜の城下。茫然としたチェリック王子の顔を思い出して、リクドウェルは腕を組む。
「さて、これからどうするか……」
 唸ったリクドウェルに、待ち合わせに遅れても全く悪びれない様子で、たっぷりとした銀髪をかき上げながらジルが現れて言った。
「どうって、決まっているだろう?ここまで来てしまったんだ。もうシルヴィス様のご意向通りに事を進めなくちゃぁね」
「ご意向ねぇ……」
 この展開は本当にシルヴィスの意向通りなのだろうか、とリクドウェルは考える。
「ゲートリッジ……食えねぇやつらだなぁ。まったく」
 ふん、とジルが鼻を鳴らす。
「シルヴィス様の害にならなきゃ私はどうだっていいよ。どんなに身近に馬鹿が集まろうと、どうせシルヴィス様は私たちの元へ帰ってきて下さるさ。それよりさ」
 ジルは唇に指を添えて考え込むようにした。
「赤の一族に混じって、赤毛の魔女がいたんだけど……なんか、あんたに似てたんだよねぇ。気のせいかな?」
「は?」
「たしか、草原の魔女って呼ばれてたっけ。――リク?」
 凍り付いたリクドウェルの顔を見て、ジルが警戒する。
「な、なんだいその反応は」
「赤毛……俺に似てる……魔女……。それって、本当に女だったか?」
 ジルは珍しく言いにくそうにした。
「え?あー……あんたに似て、女みたいな顔した男だったよ」
 ぷちん、とリクドウェルは己の血管が切れる音を聞いたような気がした。

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