歌姫

  3


 光指す白亜の街並み。住民が育てる色とりどりの花々はその光を浴びて生き生きと輝き、少女はその輝きを浴びて一層麗しく、愛らしく見える。少女は己の母親譲りの美しさを知っていたので、羨望の眼差しで己を盗み見る女たちの不躾な視線を許してやった。
 飽いている。何か面白いことでもないものか。少女は幼い手の平を顔に翳し、照り付ける光を避けた。
「眩しいのならこちらにおいで。日焼けしてしまうよ」
 優しい母が手招く。少女は大人しくそれに従った。
「下の者たちの暮らしなど、見ていて何になる?」
「面白いですわ。まるで蟻みたい」
 少女は答え、可愛らしく小首をかしげた。己が一番可愛く見える絶妙の角度だ。
「ねぇ、母上様。兄上様はいつお戻りになるのかしら。あの方がいないと退屈で仕方がないの」
「もう一人の兄上がいるだろう」
「あの方を虐めるのにも飽きてしまったわ」
 子供らしい無邪気さで、酷い言葉を重ねる。
「あんな弱い方、兄上じゃないわ。兄上様が待ち遠しい」
 母はくすりと笑んだ。笑うと大輪の薔薇のような美しさが際立つ。そして、くらくらするほど艶めかしい。昔も今も、大陸一番の美女と詠われる母の美貌と、それを受け継いだ己の顔が少女は誇らしくてたまらない。
「きっと連れ戻してくれるさ。――あの男が」

―――――

 リクドウェル・ウィンダーは怠そうに首を傾けた。
「!」
 雅は咄嗟に身を守ろうとしたが、遅かった。予備動作なしの切り裂き呪文が右腕を凪いでいくのを感じて呻く。
 緋鶯と天藍が緊張した気配が伝わってきた。雅が魔法の早撃ちで負けた所を彼らは見たことがない。
「ひよっこのお嬢さんが真魔族の俺に魔法で勝とうなんてさぁ……」
 リクドウェルは欠伸をかみ殺す。
「三百年くらい早いんじゃねぇの?」
「っ、この……!」
 雅も切り裂き呪文で応戦するが、リクドウェルはそれを片手で払っていく。
「ははっ、ちょろい」
(ムカつく!)
 雅は魔法を放ちながら表情を歪めた。それを見てリクドウェルが更に嬉しそうに笑った。
「大人しく暗殺させろよー」
「させるか」
 天藍が雅の後ろから言い、飛び出した。
「はああ!」
「ばーか」
 天藍の双剣がリクドウェルに届く前に弾かれる。身一つになった天藍へ雅が保護の呪文をかけるが、やはりリクドウェルの圧倒的な力には敵わない。
「っつぁ……」
 衝撃を受けて吹っ飛んだ天藍の体が杏珠の部屋の扉に叩きつけられる。天藍のうめき声とともに、中から杏珠の悲鳴も聞こえてきた。
「もうやめてぇ!」
 杏珠の声はいつもよりも間近に聞こえた。扉のすぐ傍まで来てこちらの様子を伺っているらしい。
「お願いだから逃げて!あたしのことなんか放っておいて!」
「そんなことできるか……」
 緋鶯が扉に手をついて立ち上がった。ずるり、と扉に血の跡が残る。
 リクドウェルが面倒そうに魔法を放つのを、雅は必死に食い止めた。かつ、かつ、とリクドウェルが扉に迫る。
「逃げればいいだろ?あの時と同じように。丸腰で何ができるってんだ」
 意地が悪い台詞だ。それでも緋鶯は静かに相手を見据えていた。
「言っただろ。俺はもう逃げない。死んでも杏珠を守るって決めたんだ」
 リクドウェルが手をかざす。雅の体が凍り付いたように動かなくなった。
「お嬢さんは殺さないから大人しくしてろよ。チェリックサマに怒られるから」
 魔力を込めようとするが、直ぐに力が抜けてしまう。チェリックが雅の横を通り過ぎていき、雅は焦って身をよじる。ぐ、と力を入れて振り返った。
「ふざけないで!勝負して!」
「煩いって」
「な――」
 喉が一瞬ぐうと締まり、声が封じられた。
(そんな――)
 チェリックが扉の目の前で足を止めた。緋鶯は両手を広げてそれを遮る。先ほど深手を負ったらしい天藍は倒れて動けず、悲壮な表情で二人を見上げていた。
「ひ、緋鶯」
「緋鶯!緋鶯!」
 扉の外で何が起こっているのか、正確なことが分からない杏珠は恐慌状態にあるようだった。狂ったように叫び、扉を打ち鳴らす。
「緋鶯、いや!だめ、逃げて!」
「………」
 緋鶯は答えない。リクドウェルは興味深そうに仁王立ちの緋鶯をしげしげと眺めていた。
「随分痛めつけたはずだが、まだ立っていられるなんてな。そんなにお姉ちゃんが恋しいのかよ?」
「そうだ。恋しいよ。だって俺は――」
 緋鶯はきっぱりと答えた。杏珠が叫ぶのをやめ、緋鶯の言葉の続きに耳を傾けた。
「杏珠のことが大好きだから」
 前触れもなく、す、と緋鶯は右手のグローブを脱ぎ捨てた。
(え――)
 雅は目を疑った。リクドウェルも「あ?」と声を上げる。
「もっと早く、こうしていればよかったんだ」
 緋鶯の右手の手の甲には、天藍と同じ『歌姫』の紋様が浮かんでいた。
(え?あれ?)
 それが意味することを悟り、雅は背筋が冷えた。
(そうか。そうだったんだ――!)
「俺が『歌姫』だ。杏珠は俺の身代わりに過ぎない」
「緋鶯!」
「ごめん、天藍。――ウィンダー、『歌姫』を殺すなら俺を殺せ」
 リクドウェルは何も言わず、無表情で緋鶯を見ていた。
「いやああ!」
 扉が内側から開放されようとするのを、緋鶯は背中で押さえつけた。
「出てくるなよ、杏珠」
「だめ!だめ!どうして!どうしてよ、緋鶯!」
「俺は杏珠を犠牲にして身を守ることに嫌気がさしたんだ。ごめんな……」
「あたしが『歌姫』よ!あたしが王印に選ばれたの!だから、だから、――緋鶯を、弟を、殺さないで!」
 死んだわ、と杏珠は続けた。
「あの時、弟も妹も、何人もの子供が、帝様や王様が、殺された!もうたくさん!あとはあたしだけでいいの、お願い、あたしが『歌姫』なの!殺さないで!」
「くっだらねぇ」
 リクドウェルの視線は先ほどよりもいっそう冷えていた。無表情の中に苛立ちが見え隠れしている。
「何が弟だ。兄弟なんてな、くそみたいなもんなんだよ」
 口汚くそう言って、目を細めた。
「いいから、まとめて死ねよ」
 リクドウェルの魔力が高まるのを感じた。
(っあ、あああああああああ!)
 雅は渾身の魔力を込めた。
(ここで、『歌姫』を死なせるわけには――)
「な、」
(――いかない!)
 ぶわ、と風が巻き起こる。滅茶苦茶な力が己を中心に巻き起こるのを感じた。そして、背中にそれを後押しする温かい温もりも。
「嵐を起こすぞ」
「どこにいたのよ、貴方!」
 思わず声が出た。シルヴィスの解呪の魔法で口止めが解けたのだ。
「いい男は神出鬼没なのだとヒビキが言っていた」
「ばかじゃないの!」
「私は正気だ。――行くぞ」
 リクドウェルがぽかんと口を開けていた。雅の生み出す風で赤毛がばさばさとなびいている。
「嘘だろ。この魔力――まさか真魔族?しかも……」
 リクドウェルは口端を引き攣らせて雅を支えているシルヴィスを見た。
「俺の魔法を吹き飛ばすとか、どんだけ成長してるんですか、アンタ」
「あんなまやかしの魅了術、五分で解ける。相手が貴様だとわかっていたしな」
「び、微妙に長い。手こずってるじゃないですか。俺はねぇ、アンタの為に――」
「吹き飛べ」
 何か話していたが、シルヴィスが容赦なく遮った。嵐が巻き起こる。
「うわ、うわああ!?」
 リクドウェルの体が天井まで舞い上がった。天井に叩きつけようと雅が力を込めるが、シルヴィスがそれを止める。
「相手は不死の研究をしているウィンダー家だ。ちょっとしたことでは傷つけられない。天井もろとも空へ吹き飛ばせ」
「ひっど!?」
 舞い上がりながらも、リクドウェルはシルヴィスの台詞を拾って嘆く。
「お兄さんはそんな酷い子に育てた覚えはありませんよ!」
「地平線まで吹き飛ばせ」
 雅は遠慮なく魔力を込めた。
「ちょ、ま、お、覚えてろよ!!」
 轟音とともに天井が吹き飛び、リクドウェルの姿と悲鳴がなくなった。代わりに、緋鶯がぎゃあぎゃあと悲鳴を上げる。
「うおおおぁ!瓦礫!瓦礫!」
「煩いよ、緋鶯」
「いや天藍、煩いじゃなくてよく見ろよ!危な――」
 シルヴィスが銃に弾を装填し、上から降ってくる瓦礫の山に向けて撃った。
 ドンドン、ドンドンドン。
 連射した全弾が当たり、瓦礫が内側から破裂する。シルヴィスの魔力を込めた弾は当たったものを破裂させ、バラバラにしてしまうのだ。幸いにして、雅はこの弾が人間に当たったところを見たことがない。見たくない。
「特殊弾のレベルを超えてる……」
「任務直前にグレードアップしたからな。私の渾身の魔力を込めても大丈夫な造りになった」
 シルヴィスは満足げに微笑んで、降ってくる粉々になった瓦礫から雅を守るように外套の中に入れてくれた。中々に紳士的である。
「遅くなって悪かった」
「……。別に、私一人でもなんとかできた」
 シルヴィスは雅の可愛くない発言にも動じない。どころか、楽しそうでもある。だから雅は安心して憎まれ口を叩ける。
「あの人と知り合いなの?」
「何故そう思う?」
「何故って……。もういいや、ありがとう」
 シルヴィスが何か言おうとしたとき、緋鶯が声を上げた。
「いや、何二人の世界に入ってんだよ!派手にやり過ぎだから!どうしてくれるんだよ、帝宮壊れちゃったじゃんか!助けてくれてありがとう!」
「ありがとう、シルヴィス。雅。助かったよ」
 パニックになりながらも礼を忘れない緋鶯に苦笑しつつ、天藍も倒れた状態から上体を起こした。
「今、治癒魔法をかけるね」
 雅がシルヴィスから離れて緋鶯と天藍の元へ歩き出した。同時に、扉が勢いよく開け放たれる。扉に近かった緋鶯と天藍がそれに後頭部を殴打され、雅たちのほうへ吹き飛んできた。
(い、痛い)
 雅は歩みを止め、顔を引き攣らせた。今すぐ治癒魔法をかけてあげたいが、それは後に回したほうがよいだろう。なぜなら――
「緋鶯、天藍」
 ぽろぽろ、ぽろぽろ。涙を流した少女が、床に倒れた二人の姿を見て、さらに悲壮な表情になる。
 歳は緋鶯と天藍、雅と同じくらい、栗色の腰まである髪を左右に分けて三つ編みにした、少し鄙びた雰囲気の素朴な美少女だった。
 杏珠は両手で口を押えて悲鳴を堪えたようだった。その右手にも左手にも、やはり王印はない。
「うそ。死んじゃったの?ねぇ、死んじゃったの?」
 自分が吹き飛ばしたのに、それに気づいていないらしい。直ぐに起き上ってやればいいのに、緋鶯と天藍は示し合せた様に床に倒れたままだ。まるで死体である。
「うそ。うそ。お願い、死なないで。緋鶯、天藍、謝るから。ごめんなさい。死んじゃいや」
(ほんとに死んでるんじゃないよね?)
 雅が不安になってくるほど、二人は微動だにしない。杏珠は床に座り込んで二人の体を揺さぶった。
「ごめんね。ごめんね。あたし、二人に酷いことを言った。放っておいてなんて。この部屋の中にいたいなんて、嘘。あたし、あたし、ずっと寂しかっ――」
 それは唐突だった。緋鶯と天藍が当時に飛び起きたと思ったとたん、杏珠を二人がかりで抱きしめにかかったのだ。
「うっ……」
 その勢いに一瞬息を詰まらせた杏珠。
「え、あれ?緋鶯?天藍?」
「寂しかった」
 天藍が小さく呟いた。状況を把握しきれず戸惑っていた杏珠が瞬く。
「もう突き放すなよな」
 緋鶯が呟いて、杏珠を抱く腕に力を込める。雅はこの時点で見てはいけないものを見てしまっている気分になっていたので、そっと目を反らしてシルヴィスの袖を引いた。
「う、う、ひ、」
 引き攣り笑いのような杏珠の声の後、「ありがとう」と誰ともなく囁く声が聞こえた。
 幼馴染たちの静かにすすり泣く声を背に、シルヴィスと雅は視線を交わした。
(私たちも抱き合おうか?)
(馬鹿を言うな)
 くすくす、と自然に笑みがこぼれた。


 歌姫が漸くチェリックの私兵から解放された。その報せはセレズニア中を賑わせた。
 程なく、第一区画と第二区画を分ける大門のバルコニーに歌姫とそのキングメーカーが姿を現した。歌姫と聞いて彼を女性と思っていて驚愕した者、人づてに杏珠という孤児院の少女が王印を持っていると偽の情報を掴まされていたので呆気にとられた者、可愛い少女が現れるのを期待していて落胆した者、彼の姿を見知っていて戸惑った者。人の反応はそれぞれだった。
「俺の顔を知っているやつ、俺の名前を知っているやつ。それぞれいるだろうが、ここで自己紹介を一つ。俺の名は邦緋鶯。『歌姫』の王印を持つ、この国の次期王だ」
 緋鶯が右手の王印を示して見せると、人々が騒めいた。緋鶯は始まる前に「俺、緊張しすぎて吐きそうだよ、雅」と弱音を吐いていた人物と同じとは思えないほど堂々としていた。
 一歩後ろに下がっていた天藍が前に出る。緋鶯は続けた。
「キングメーカーは皆さんご存知、次期帝の誉れ高い孤高の貴族、楊天藍。俺たち、実は幼馴染なんだ」
 おお、と歓声が上がった。「かっこいい、天藍様―!」という黄色い声も上がっていたのだが、緋鶯は苦笑して流した。
「シャイオンの脅威から逃れるため、ずっと身を隠して生きてきた。だけど、それもここまでだ。この度の侵攻により崩御された王帝に代わり宣言する。盟友たちの力を借り、俺たちセレズニアはシャイオンを打ち破る!」
 人々が静まり返った。その不安そうな表情を見回して緋鶯が怒鳴った。
「シャイオンがある限り、セレズニアに平穏は来ない!この国を取り戻すため、男たちを集めたのは誰だ!」
「ひ、緋鶯だ!」
 民衆の一人が声を上げた。
「援軍を呼び、優れた作戦で勝利に導いたのは誰だ!」
「天藍様よ!」
 黄色い声だ。
「そうだ!俺たちと、盟友たちとが手を組めば、半年間も奪取されていた都も取り戻すことができた!なら、俺たちの平穏も取り戻せるはずだ!この――」
 二人の後ろで静かに門下を見下ろしていたシルヴィスが前に出る。ばさりと彼の外套が風を受けてはためく。その背中につられてしまったのだろう、雅も彼の少し後ろまで歩を進めた。
「トロイド王立騎士団の精鋭を味方につけ、俺はここに、皆の平穏を取り戻すことを誓う!」
 その日一番のどよめき、そして勝利への核心が込められた歓声が起きた。
 怒涛のような声の波に身を震わせる雅の横に自然と並んだヘリオス、イクス、壬弦の三名が誇らしげに、微動だにしないシルヴィスの背中を見つめているのに気付いた雅は、この先の展開への不安と同時に、言いようのない高揚を感じていた。

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