妖蟲

  2


 不死の者たちを消し去ってから五日。依然周囲を蟲とシャイオン兵に囲まれたまま、砦は深刻な問題に直面していた。
「チェリックはセレズニア第一区画を落とす時、そのひと月前から第三区画……流通区画の機能をじわじわと低下させていたらしいわ。結果、物資の供給が滞っていた第一区画は籠城を放棄して、シャイオンに降伏した。だから、こうなることは予測できていたけど――」
「まさか、確保していた地下道のライフラインまで絶たれるとはな……」
 ユエとヒビキが難しい顔で話し合っている横を通り過ぎ、和葉は一かけらのパンを持ってヒズメを探していた。
 ヒズメは五日間、水以外何も口にしていない。ライフラインである地下道は彼女の隊が守っていたが、土壁から押し寄せる黒兵に屈し、道を岩で埋めることで砦への侵入を防いだ。岩は黒兵の侵入を防いだが、同時に青の一族からの物資の供給を滞らせることになってしまった。彼女はそれに責任を感じているらしい。
(でも、食べなきゃいざというときに戦えない。飯を食わなきゃ戦はできないっていうし)
 お節介と罵られることは覚悟していた。だが、やっとのことで見つけ出したヒズメは、予想外の反応を示した。
「……っなんだよ、見んなよ。いらないって言ってるだろ。他の奴にやって」
 和葉の顔を見るなり泣き出したヒズメは、地下道に続く階段の一番下に座り込み、岩で埋まった地下道を睨み付けていた。
「でも、ヒズメも少し食べたほうがいいよ」
「お情けかよ!散々あんたに役立たずだって言っておいて、口ほどにもない奴だって思ってるくせに」
「そんなこと思ってないよ」
「あっち行けって!」
 ヒズメはぼろぼろと涙を零し、それを乱暴に腕で拭った。
「あ、あたしのせいだ。あたしのせいで負けるんだ。う……っ」
「ヒズメ……」
「ふ、う、もっと、あたしが強ければ!あんたみたいな力があれば!!王なんてバカみたいだと思ってた。マオラ姉さんに随行して魔女の手を借りに行くなら、男装したあたしでもいいじゃないかって。皆はあんたを優遇し過ぎだと思ってた。ぽっと出のくせに生意気だって。――でも、あんな光見せられちゃ、認めるしかねーじゃんか!なぁ!」
 パンを差し出していた腕が掴まれた。ヒズメの手は熱く、震えていた。
「王様ってのは奇跡を見せてくれるんだろ。百年の奇跡ってやつをさ!今、それを見せてくれよ。このまま、飯も食えないで、蟲の餌になるのなんて嫌だ!」
「でも、私、」
「頼むから、できるって言ってくれよ!」
「!」
 ヒズメの濡れた瞳に、和葉の顔が映る。和葉はそれを見て、胸が苦しくなった。
(そうだ。私、でも、なんて言っていられないんだ。この人たちの前で、不安な顔をしてちゃいけない。私は王様になるんだから)
 しかし、それはなんという重圧だろう。普通の少女だった和葉にとって、どれほど過酷な道なのだろう。和葉自身、それを自覚しきれていなかった。
「できる、よ」
 根拠などない。
「できる。私一人の力じゃできないかもしれないけど、皆の、ヒズメの力も合わせたら、絶対に奇跡は起こるよ」
 できないなど言えない。同じく不確かなことならば、少しでも希望を口にしたほうがいい。
「だから食べて。ヒズメの力がなきゃ、困る」
 ヒズメは和葉の顔を惚けたように見ていた。一瞬ののち、我に返ったように頬を赤らめ、ふん、と鼻を鳴らしてパンを受け取る。
「男のくせに女の手を借りたいなんて、恥ずかしい奴」
 憎まれ口も涙を見た後では可愛らしく聞こえる。和葉は少し、笑ってしまった。
 その時、砦の見張り台の鐘がけたたましく鳴らされた。
「敵襲か!?」
「でも、鳴らし方が変だよ。ユエとヒビキを探そう」
 来る途中にすれ違った二人を挙げると、ヒズメは少し嫌そうな顔をした。
「あたし、あいつらあんま好きじゃないんだよな」
「え?」
「いてくれて助かってるのはそうだけど。でも、なんかさ、あたしらのこと、利用してる気がして」
 和葉は肯定も否定もしなかった。否定したいが、しきれないような気がしたのだ。和葉はいまだに、彼らの素性を知らない。
 階段を上りきると、二人の姿はすぐに見つかった。和葉とヒズメを見つけたヒビキが、二人をがっちりと掴み、あっという間に俵のように担ぎ上げる。
「えー!?」
「おい、なにすんだよ!」
「屋上行くぞ!掴まれ!」
 ユエも黙ってヒビキの後を走る。屋上に着いて外の光景を見た和葉は、ヒビキの腕から降ろされるなりせり上がった壁から身を乗り出した。
「嘘だろ……」
「シャイオンが、退いていく?なんで?」
 砦を囲む蟲兵を残して、シャイオンの軍勢が遠ざかっていく。目を白黒している二人の背から、ユエが顔を出して微笑んだ。
「間に合ったみたいね」
「これもユエの作戦なの?」
 ユエはふふ、と笑った。その隣のヒビキが苦笑する。
「こんなにギリギリの作戦が作戦と言えるのかわからねぇが……。シルヴィスと雅が、セレズニアで上手くやったみたいだな」
「助かった……?」
 ヒズメが呟き、屋上の床に膝をついた。
「奇跡が起きたのか……?」
 滲んだ瞳を向けられて、和葉も泣きそうになる。
「よ、良かった。お腹すいたぁ……」
「ご飯が食べられるー!」
 青の一族の行商が砦にたどり着くのも近いだろう。和葉とヒズメは思わず抱き合って、喜びを分かち合った。マオラ、サメギ、草原の魔女も屋上にたどり着き、ほう、と安堵のため息をつく。
「命が繋がったわね」
「残った蟲兵は微弱だ。そしてこちらには殺蟲剤がある。どうする」
 サメギが短く、マオラに問う。ユエとヒビキも、マオラの意見を待っているようだった。
「……攻めるべきだと思う。でも、それを決めるのは私じゃない」
 マオラは静かに、和葉を見下ろした。
「和葉。あんたが決めて」
「………」
「あんたは、私たちの王様でしょう?」
 和葉は以前、マオラから聞いた言葉を思い出した。
 ――私の命令や一存が、直接一族の生死を分けることもある。
 ――赤の一族と蟲の一族の戦いを、私たちの代で終わらせたかった。
 ――恐ろしい、
「私、終わらせたい」
 ジェイムと向き合う。そして、この戦いを終わらせる。
「そう」
 和葉の言葉を聞いて、ユエが言った。
「それなら、一旦あたし達とはお別れね」
「………」
「俺たちはすぐに、シルヴィスに加勢しに行く」
 わかっていた。シルヴィスを一番に考える二人なら、そう言うということくらい。
「裏切り者と思う?」
「ううん」
 和葉は首を横に振った。
「二人がいなくても、やる。私、ジェイムを倒す」
「――……」
 ユエとヒビキは顔を見合わせて、笑った。
「嘘よ!言ってみただけ」
「お前を野放しにして行けるわけないだろ、危ない」
「え、」
 和葉が瞬くと、ヒビキの太い指がさらさらと和葉の髪を撫でた。
「でも、シルヴィスは」
「あいつは俺たちがいないと戦えないほど弱い奴じゃない。本来なら、俺たちがいなくてもやっていけるやつなんだ」
 最後の一言に切なげな色を感じた。ヒビキは眉を寄せて微笑み、和葉から離れた。
「よーし!そうと決まれば!」
「まずは、腹ごしらえだー!!」
「まだショボイ食いもんしかないけどな!」
 赤の一族の雄たけびとともに、大晩餐会が始まった。

 なけなしの食糧を食いつぶした後、赤の一族は怒涛の勢いで砦を囲む蟲兵を倒し、蟲の一族の巣ジャオへと撤退させることに成功した。
 青の一族の有志が物資を運び込み、砦はようやく平和を取り戻した。
「南のジャオへ行くには、ラクダで砂漠を越えなくてはならない」
「大軍では無理ね。前のように、精鋭を集めて少数でかからないと」
 地図を広げて行路を確認する。和葉は最近、ようやくこの世界の地理が分かるようになってきた。
「移動手段のことなのだが」
 食糧を供給した青の一族の一人が会議室に残り、手を上げて発言した。
「我が青の一族の大鳥を使うのはどうだろうか」
「なんだと?」
 サメギが発言した男を睨み付け、食って掛かる。
「あれは青の一族の王でなければ扱えないはずだろう。そんな危険なものに乗れと、」
「正確には『王』という人種ならいい。王ならそこにいるだろう」
 男は冷たくそう言い、和葉を指さした。
「その少年が我ら魔族の王だというのなら、乗りこなせるはずだ」
 まるで、試しているかのようだ。和葉は気を引き締めて、問うた。
「貴方、誰?」
 男は目深に被っていた頭巾を取り払うと、頭を下げた。長い青色の髪が水のように肩を流れる。
「青の一族が長。スイゲツと申します。挨拶が遅れて申し訳ありません」
「スイゲツ?貴方が」
 マオラの目がつり上がった。それを見ても男はひるまず、慇懃無礼な態度のまま口端を上げた。三十代前半くらいだろうか。余裕のある所作といい、この場の誰よりも年上に見える。
「ああ。新しい赤の族長、貴女とも初めましてでした」
「今さらどの面下げてここに来たわけ?どれ程救援要求しても何の助けもくれない引きこもり族長」
「思慮深いと言ってもらいたい。我ら青の一族は、勝てる戦にのみ手を貸す――。食糧だけは、この不毛の地に届けてやっていたではないか」
「恩着せがましい言い方ね」
「飢えずに済んだのは誰のおかげだ?それだけでも確かな助けになったのではないか?」
「……ッ」
 マオラが舌打ちした。和葉も眉を寄せる。
「大鳥って何?大きな鳥?」
「空の王者と呼ばれる巨大な鷹です。いずれは覇王に従うべき存在になる。先代覇王存命中も亡き後も、乗りこなせたのは覇王以外にただ一人のみ」
 ごくり、と和葉は喉を鳴らした。
「正直、私は迷っているのですよ、陛下。赤の一族を疑っているわけではないが……貴方は王としての資質が足りていないように見える。サメギ、お前もそう思っているだろう」
 サメギは沈黙で答えた。隣で様子を伺っていたヒズメが口を尖らせ、その背を軽く叩いているのが見えた。
「さぁ。どうなのです。大鳥に乗ることができたら、私は貴方を王と認め、一族もろとも貴方に服従すると誓いましょう」
「……やる」
「おい、大丈夫なのか?なんかヤバそうじゃないか?」
 さすがに心配になったのか、ヒズメが口を挟むが、ヒビキがその肩を掴んで止めた。
「やらせてみようぜ?」

―――――

 結果として、和葉が青の一族に認められることはなかった。ヒビキはユエとともにラクダを引きながら、頭をかく。
「出鼻からくじかれて、可哀想に。第一、大鳥ってのは覇王に懐くもんで、王に懐くわけじゃないだろう?」
「そう信じたいのはあたしたちだけよ」
 ユエの一言に、ヒビキは嘆息する。
「ジャオにかかずらっている間に、あいつが死んだらどうする?」
「笑えない冗談を言わないで。さっきはあんなこと言っていたくせに」
 ユエはヒビキの背を叩いてから、考え込む。
「確かに、ヘリオスやグリンクレッタの助けがどれほど当てになるかはわからないわね。しかも、予想外に敵が多い」
「チェリック。ジェイム。ウィンダー家。ゲートリッジ兄妹は完全には信用ならないし、そして多分、王妃の手先も潜り込んでるだろうな。入り乱れてる。本国の殿下の周りを固めてるやつら、やっぱり連れてきたほうがよかったんじゃ……」
「シルヴィスの意志よ。それは仕方がないわ」
 はぁ、とユエが重いため息をついたので、ヒビキはその肩を抱いた。
「シルヴィスはわかってないわ。どんなにあたしたちが、あいつのことを想っているか」
「一人で何でもできる奴だし、いつでも冷静な雅もついてる。協力者もたくさん。でも、わかってても、心配なんだよなぁ」
 ユエは珍しく、素直に頷いた。
「たまに、思うのよ」
「うん?」
「あいつの意志なんか無視して、あんたとあたしとで、あいつを誰にも知られないところへ連れて行って、そして、」
「ユエ」
 ヒビキはユエの言葉を遮った。
「そりゃあ、ダメだ。あいつは皆のシルヴィスでなきゃならない。あいつも、それを望んでるんだからな」
「………」
「俺はさ、こう思うよ」
 言った後で、ヒビキは少し考える。
「……。何があっても、あいつの夢を叶えてやりたい」
 その願いは、本当に己のものなのか。ヒビキはそれすらおぼろげになってしまっているけれど。
「百年の奇跡、起こすぞ」
「――ええ」
 ユエは瞳を伏せた。
「時に、ユエちゃん」
「何よ、気持ち悪い」
「奇跡が起きた暁にはさ、俺と結婚してくんない?」
 がつん、と容赦なく殴られて、ヒビキは呻き転がった。

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