二人の狂人

  3


 そこは、真綿でくるまれているかのように優しく、それでいて切なく締め付けるような、――どうしようもなく悲しくなるような、そんな金色の光に照らされた部屋だった。それでいて、陽光を入れる窓もなく、電飾や蝋燭の類もない。まるで、部屋自体が発光しているような、そんな不思議な空間。
 たゆたうような夢見心地。和葉はぼんやりと目を開けて、淡い金色のそれに手を伸ばした。
 触れたそれは、ふわり、と微笑んで、色を変えた。金色の何かだったそれは、和葉の指先を細い指でとらえて、口づける。
(金髪の、王子様……)
 うとうととしていた和葉は、むにゃむにゃと呟く。金の髪の王子様は、うっとりと和葉を見つめて、何事かを呟く。眠くて仕方がない和葉は何を言われているのかわからない。いつものこと。いつもの――夢だ。
(何を、言ってるの)
 和葉は瞬きを繰り返し、意識をはっきりとさせるように努めた。今日こそ、彼の言葉を聞くのだ。いつのころからか度々夢に現れる彼と、会話をするのだ。
(貴方は、誰)
 王子様は和葉のそんな努力を悟っているのだろうか。嬉しそうに、触れたままの和葉の指を握りこんだ。
「やっと、僕を見てくれましたね」
 唐突にはっきりと、声が聞こえた。
「さぁ、もうすぐ朝です。目を覚まして。きっと今日は、貴女にとって素晴らしい日になるから」
「嘘」
 ぽろり、と何かが目尻から落ちた。和葉はそれを拭いもせずに、泣き喚いた。
「怖い。もう、いや。目を覚ましたくない。帰りたい。どうして、私がこんな目に会うの」
 大好きな善に会いたい。優しい兄に会いたい。厳しい両親にもちょっと会いたい。会って、もう二度と、離れたくない。
「また、怖いことが起きる。戦わないといけない。でも、戦えない。どうして、私が王なの?雅のほうが、ずっと王様らしいよ」
 何も知らない筈の王子様が、悲しげに眉をひそめる。
「可哀そうに」
 王子様はそう呟いて、和葉の頭を撫でた。その優しさに、和葉は泣き喚くのを忘れて、食い入るように綺麗な目の前の顔を見つめた。
「でも、大丈夫。貴方は十分、王になれる素質を持っています。――なんかより、ずっと」
 途中、王子様は言葉を濁して、俯いた。それを見て、和葉は焦った。何故だか、彼を悲しませてはいけないと思った。彼が悲しそうな顔をすると、己の胸まで苦しくなった。
「泣かないで!」
 どうしてそう言ってしまったのかわからない。王子様はきょとん、として瞬いた。その瞳には涙など見られない。
「あ、貴方は、私を王様にしたいの?」
 誤魔化すように問うと、王子様は微笑んで、頷いた。
「王とは、孤独。そして希望です。あの男の所業を見たでしょう?」
「あの男?」
「蟲の一族の王。『妖蟲』ジェイムです」
 和葉の脳裏に、醜悪な蟲を率いて現れたターバンの男の姿が蘇る。蟲を愛でながら虫けらのように赤の一族を殺し、己の従者までも眉ひとつ動かさず切り捨てた冷酷な男。何故か己の名前を知っていた、狂人。
「あの男は再三に及ぶマオラの説得に耳を貸さず戦を望んだばかりか、己の我儘で罪の無い少年を幾人も攫い、殺した。そんな男が、王にふさわしいと思いますか?」
 僕はそうは思わない、と王子様は言う。
「これは僕の我儘です。でも、分かってほしい。この世界には、あのような狂人でも世界の王になれる運命が許されている。他ならない、緑竜という神によって。僕らは、それに抗わなければならないんです」
 和葉は、この時やっと、シルヴィス達の言っていた理想が分かったような気がした。
「百年の奇跡を起こしたい。緑竜に破滅の世界を選ばせないために、貴女の協力が必要なんです」
 でも、何故それを彼が説くのだ。
「貴方は、誰なの?」
 王子様は、ふわり、と笑んだ。

―――――

 がつん、と肩に一撃を受けて、和葉はよろめいた。昨夜見た夢の内容をぼんやりと思い出していた頭が、急速に冷える。
「てめぇ、何をぼさっとしてやがる!死ぬぞ!」
 剣の稽古に付き合ってくれていたヒズメが怒鳴る。和葉はごめん、と言って、刃をつぶした剣を構えなおした。傍で休憩しながら見ていたサメギが溜息をつく。
「駄目だな」
 紅狼の砦に戻った和葉だったが、一番会いたかった雅はユエの作戦に従い、シルヴィスとともにセレズニアへ遠征していた。心細い気持を誤魔化すため日々稽古に明け暮れているうちに、マオラやヒズメ、他の赤の一族と少しずつうちとけていたはずだったか、サメギはやはり和葉に冷たい。
 ちなみに、折り合いの悪いあのグリグリクレッタとかいうお嬢様は、いつの間にかどこかに行ってしまっていた。ググクレッタの動向など和葉にはどうでもいいことなので、積極的に行方を聞くことはしていないが、多分どこかで高笑いしているのだろう。知らない。果てしなくどうでもいい。
「ほーんと、ダメダメだ!真剣になんない奴と稽古やっててもつまんねーから、あたし、魔術隊に差し入れ入れてこよっと」
 ヒズメは剣を放り出して行ってしまった。和葉とサメギの間に気まずい空気が流れる。
「何を考えている?先日の失態を忘れたか。このまま戦いから目を背けていても、事態は悪くなっていく一方だぞ」
 静かに責める口調に、和葉は思わず言い返す。
「目を背けてなんかない!私、戦うって決めた。だから、でも――」
「死ぬぞ」
 ヒズメの罵倒よりも大きな衝撃を持って、それは和葉の脳内に浸透していった。頭が真っ白になった。
 何も言えない和葉の横を通り過ぎて、サメギは姿を消した。剣を持ったままの和葉だけが残される。泣きたくなった。じわりと滲むそれを手の甲で拭った時、優しい声が和葉の頭に落ちた。
「泣いてんじゃないわよ、オーサマ」
 マオラだった。いつからいたのか、マオラは腰に手を当てて、困ったように和葉を見下ろしていた。
「私たちは戦闘民族だからね。ぶっちゃけ、あんたみたいな貧弱少年の気持ちなんかわかんないから、ああやって冷たいことばっかり言っちゃうのよ。ごめんなさいね」
「ううん。私が悪いよ。私から稽古に誘ったのに、ぼーっとしてるから」
 和葉の言葉に、マオラは首をかしげた。
「なんか、あった?」
 和葉は夢のことを言おうとしたが、止めた。夢を語ろうとすると、必ずジェイムの名前を出さなければならなくなる。ジェイムの名前を出すと、必ずマオラは顔色を変えるだろう。
 マオラはこの数日のうちに随分痩せた。先日のジェイムの襲撃が精神的に堪えたらしい。ずっと無事を信じてきた弟分たちの死を、受け止めきれずにいるのだ。そして、湧き出るジェイムへの殺意もまた、抑え切れていない。
「ねぇ、マオラ。マオラは赤の一族の族長だけど、族長でいる気分って、どう?」
 なんでもないことのように問うと、マオラはすぐ傍の岩に腰かけて、空を見上げた。和葉もそれにならって岩に腰かけようとしたが、日光に熱された岩は焼け石のようだった。慌てて立ち上がる。
「あちち!」
「あっはっは!なにやってんの」
 マオラは和葉の行動に笑った後、不意に真顔になった。
「そうね――恐ろしい、かしら」
「怖いの?マオラも?」
「当たり前でしょ。私の命令や一存が、直接一族の生死を分けることもある。この前のジェイムの襲撃だって、予想できたはずなのに……」
 マオラは顔を歪ませた。岩の上で膝を抱え、頭を項垂れる体勢になり、呟く。
「私は、危険をわかってて黒蟲区へ、ジェイムの縄張りに入った。……話をしたかった。それだけの願いに、皆を巻き込んだ」
「話?」
「赤の一族と蟲の一族の戦いを、私たちの代で終わらせたかった」
 それは和葉には、なんだかそぐわないような発言に思えた。和葉の出会った赤の一族は誰だって好戦的で、蟲の一族との戦いを望んでいた。――否、望まざるを得なかったのだろう。
 蟲の一族は赤の一族を殺し、赤の一族は蟲の一族に復讐する。逆も然り。和葉にとっては野蛮に思えるやり取りも、彼らにとっては生きるか死ぬかの瀬戸際。だから、戦わなければいけないのだと思っていた。なのに、マオラは戦いたくないのだと言う。
 それはなんだか、とても勝手なことに聞こえた。
「どうして?」
 和葉は問いながら、ヒズメやサメギの顔を思い出していた。彼ら末端の者が必死に訓練して戦おうとしているのに、マオラはそれを否定しようとしているのだろうか。
「勝手な願いなのは、わかってる。皆の命を犠牲にしてまで、試みて成功する望みなんて殆ど無い。相手はあのジェイムだもの。でも、ジェイムだからこそ、私はこの戦いをなくしたいの」
「ジェイムだから?」
「ジェイムは私の、実の弟なの」
 和葉は絶句した。
「私達の母親は赤の一族の商人でね。両区を行き来して生計を立てていたのだけど、偶々蟲の一族の王子に見初められて、子どもを儲けたの。それが私とジェイム。昔は仲のいい姉弟だったのだけど……今は、このざまよ」
「――えっと、」
 ようやく茫然自失状態から回復した和葉が問う。
「どうして、その、こうなっちゃったの?」
 訊いてもいいことなのか分からなかった。和葉が自信なさげな様子なのを気づいて、マオラは気にしないで、と笑った。
「父は母のことを愛していた。母も父のことを愛していた。でもね、やっぱり無理だったの。二つの一族の間には、とても大きな――大きすぎる、溝があった。母は同じく赤の一族の特徴が現れた私を連れて父から逃げた。……ジェイムを置いてきてしまった」
 マオラは後悔のにじんだ声音でそう言った。
「赤の一族は戦闘力の高さで長が決まる。私は蟲の一族の次の王になるだろうジェイムと対等になりたくて、あいつを止めたくて、必死に技を磨いた。でも、無事に族長になっても、全然話し合いは進展しなくて。二か月前、シルヴィスが現れて、緑竜の円卓の時が迫っていることを知らされて焦った。戦いが激化すればするほど、あいつを止められなくなると思って、だから、」
 ごめん、とマオラは俯いたまま呟いた。
「私のせいよ。全部、私のせいなの。あいつが狂ったのも、皆が無駄に命を落としてしまったのも、私のせい。情けない話だけど、あんたには言っておかなきゃいけないと思った」
 そこで、マオラは和葉の目を見つめて、言った。
「あんたを一目見て分かった。あんたは戦わなくてもいいの。平和の中で生まれたなら、ずっと平和でいるべきだわ。あんたは、戦いを望んでない。だから今からでも逃げなさい」
「逃げる?」
「シルヴィスがいない今がチャンスだわ。ユエは砦に残っているけれど、彼女は戦闘能力的には大したことないもの。どんな策をめぐらせようと、逃がしてあげる」
 和葉は迷った。大嫌いな戦いから逃げて、それで、――どこへ行くというのだ。
 マオラは勘違いしている。逃げて、故郷へでも帰ればそれでいいと思っている。和葉に逃げる場所があると思っている。それは間違いだ。
 和葉には雅以外、この世界で頼れるものがない。この場所しか居場所がない。帰るべき世界に帰るためには、無事に円卓の地へ赴き、緑竜に請わなければならない。
(そうだ、私、帰るために、)
 あの時、覚悟したのではなかったか。雅と一緒に、元の世界に帰ると約束したのではなかったか。そのために、戦うと。雅を護ると、胸に誓ったのは和葉だ。
「……っ」
「和葉?」
 いきなり泣き出した和葉に、マオラが目を見開く。ごめん、と先ほどのマオラと同じように呟いて、和葉は涙を拭った。
「ありがとう、マオラ。でも、私、帰れない。帰れないんだよ。戦うしかないの。戦って、帰るしかないの」
 気付かされた。自分はやはり、甘かったのだ。
「私、覇王にはならないけど、ちゃんとマオラたちの王になるよ。ジェイムを止めてみせるよ。誓う」
「和葉……本気?」
 和葉は頷き、焼石に腰を下ろした。熱くない、熱くない――。
「私、王になる!」
 空は憎らしいほどに青く、和葉の誓いを飲み込んで。自分はとてもちっぽけな存在だと認識させてくれる。
(でも、逃げない)
 マオラはそんな和葉の横顔をぽかん、と見つめて、少し笑った。

―――――

「『背中合わせの君』が見つかったと聞いて駆け付けてみたら……なんだい?その死体の山は」
 ふう、とため息をつきながら投げかけられ、ジェイムは剣に滴る血を払い、腰に佩いた。
「俺の和葉を暗殺しようとしていた不届き者たちだ。殺されても仕方がない」
「ふーん」
 かつ、と石畳を叩いて、声の主はジェイムに近づいた。死体の一つを蹴り上げてほくそ笑む。
「僕としては、暗殺者を応援したいところだけど。って、そんなに怒らないでよ」
 鋭い金属音を響かせて斬りつけると、刀身はあっけなく止まってしまった。――受け止めた彼の掌から血が流れ落ちる。
「痛いなぁ。僕の大切な血が出ちゃったじゃないか。馬鹿力」
「それは貴様のほうだろう」
 こちらが本気を出していないとはいえ、素手で刃を止めた彼は異常だ。ジェイムは再び剣を佩いて、鼻を鳴らした。
「不死の妙薬を手に入れたという噂は本当だったか。ならば……和葉を害そうとするその体、塵ほどに細切れにして身動きできなくしてやろう」
「君は同士をミジンコにするつもり?ひどいね」
「チェリック」
 ふざけたことばかりを言い、ここまで――蟲のねぐらと呼ばれる、蟲の一族族長の居住地まで――やって来た目的を忘れたような男の様子に、ジェイムは苛立つ。
「ごめんよ。僕はちょっと、浮かれているみたいなんだ。――かわいい女の子を、見つけてね」
 チェリックは肩まで伸びた薄茶の髪を弄りながら、にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべた。普通にしていれば美青年と呼ばれるだろうに、とジェイムは自分を棚に上げて考えてしまう。
「貴様に、『歌姫』以外で執着する女ができるとは思わなかった。心底女に同情する」
「ふふ。君って、結構天然だよね」
 僕なら和葉ちゃんに真っ先に同情するけど、と言うチェリックは本当に憎らしい表情をしていて、ジェイムは再び剣を抜きそうになった。
「顔は可愛らしいのに目がギラギラしていてね。実に僕好みなんだ。ああ、とっとと終わらせて、セレズニアに帰りたいな」
 まるで母国のような言い草だ。ジェイムは口の端を釣り上げた。
「『仮面の道化師』は、お人よしなあの国をいたくお気に召したようだ」
「だって、あの国もこの世界も、みんな同じようなものじゃないか?」
 あはは、とチェリックは笑った。
「どうせ、みーんな僕のものになるんだし」

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