二人の狂人

 駐屯地に着いた翌日、和葉はもはや日課となっている朝の鍛錬をヒビキに付き合ってもらっていた。
「なんで、あんなに、言いたい放題、言われないといけないの!」
 怒りに任せて打ち込んだ剣は、ヒビキに容易く受け止められた。
「赤の一族は王とか長とか、絶対的権力者が頂点につくのを嫌がるんだよ」
「でもあの人だって赤の一族の長でしょう?」
「名目上はな。だからって敬われてるわけでも特別な権力があるわけでもない。ただ赤の一族として他の種族と相対するときに代表者がいないと困るから、マオラ姉さんがその役を担ってるだけさ」
 赤の一族は自由の民だからな、と誇らしげに言うヒビキに、和葉は頬を膨らませる。
「ヒビキはシルヴィス第一でしょう?」
「あいつは特別だ。俺はあいつに人生捧げてるからな」
 本当に、彼らの関係はいったい何なんだろう。和葉は疑問に思ったが、そこは暗黙の了解として訊かないでおいた。話を逸らすために、和葉は前々から疑問に思っていたことを口に出す。
「ユエはさ、いったいどういうつもりなのかな。雅とシルヴィスのほうには細かい作戦を伝えてたのに、私たちのほうにはこれといって何もないじゃない?」
 あるとすれば、意味のわからない男装くらいだ。和葉はこれが一番不満だった。
 砂に足を取られながら、和葉は剣を横なぎに振った。ヒビキは上体を反らしてそれを軽くかわし、うーん、と唸る。
「前も言ったけどな。悪いようにはならないとは思うから、なるようにさせればいいんじゃないか。あいつの作戦は結構こんな感じだからな」
「不安にならない?」
「ユエはいつも正しいわけじゃないが、信頼に足るやつだ。シルヴィスの命令なんだから、適当な指示を出しているわけじゃない。これが作戦なんだよ」
 穏やかな口調だったが、その言葉は胸に響いた。和葉は少しだけ恥ずかしくなった。ヒビキにとって、和葉の問うた質問は愚問だったに違いない。それでも律儀に答えてくれるあたり、ヒビキはとても人がいい。
「ごめん。そうだよね。私、ユエを信じる」
 ヒビキは横一文字に傷の入った顔を歪めて笑った。あったかいな、と和葉はそれを見て思った。まるで元の世界のお父さんのようだった。
「マオラ姉さんも、悪い人じゃないんだ。昨日はああ言ったけど、本当はお前のこと、結構気に入ってると思うぞ」
「そうかなぁ?」
「そうさ。――あ、おーい!サメギ、ヒズメ!」
 ヒビキが大きな声を出して呼んだのは、すぐ傍のテントから武器を手にして出てきた二人組だった。片方は赤の一族だが、もう片方の男の髪と目は青い。すぐに青の一族だとわかった。その青の一族の男は、ヒビキの大声に眉間に皺をよせて不快を現した。
「そんなに大声を出さなくても聞こえる。五年ぶりに帰って来たと思ったら、ますます脳筋に磨きがかかったな」
「はっはっは、言うなぁ、サメギ。ところで、爪の垢くれないか?」
「嫌だ」
 青の一族の男――サメギは即答して、今気づいたかのように和葉を見た。
「それが円卓の王か。貧弱だな」
「聞いたぜ?マオラの姉貴に不合格くらったんだろ、あんた」
 サメギの横で体操をしていた赤の一族の少年――いや、よく見たら少女――が、頭にバンダナを巻きなおしながら話しかけてきたので、和葉は『貧弱』の一言に反論しようとした言葉を引っ込めた。
「ざまぁねぇよな。まぁ、あんたみたいな貧弱な男が、あたしらのマオラ姉貴のお眼鏡にかなうわけないし、仕方ないか」
 明らかな挑発だった。自分と同じ年頃の少女にそう言われて、黙っている和葉ではない。
「貧弱かどうか、試してみようか?」
「それはいい」
 そう言ったのはサメギだった。
「円卓の王の実力を知りたいやつばかりで、昨日から煩いんだ。この際はっきりさせてやれ、ヒズメ」
「あいよ、サメギの兄貴」
 和葉はヒビキを振り返った。ヒビキはしょうがないなというような顔をして、親指を立てた。
「行って来い」
 和葉は力強く頷いた。ヒビキに教えてもらった通りに、剣を構える。ヒズメはそれを見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「サメギ兄貴、剣貸してください。こいつ相手に本気出すまでもないでしょ」
 サメギは黙って、腰に佩いた細剣をヒズメに投げ渡した。ヒズメはそれを軽く振って和葉を挑発した。和葉は砂を蹴って切り込む。
「はぁ!」
 振りかぶった剣は振り下ろされる前に止められた。ヒズメの持つ細剣が軽々とその切っ先で和葉の剣を受け止めていた。和葉が目を見開くと、ヒズメはニヤッと笑った。そのまま切っ先で和葉の剣を押す。その力強さに、和葉はたまらず剣を離した。剣が和葉の頭の上を飛んでいき、砂の上に突き刺さるより早く、細剣が和葉の喉元に当てられた。
「あーあ、話にならねぇよ。ねぇ、兄貴」
「!」
 ヒズメが同意を求めてサメギの方を向いた隙をついて、和葉は彼女の剣を持つ手をめがけて蹴りつけた。
「あ、なんだよ、くそ!」
 口汚く罵るヒズメは、細剣を取り落とした。和葉はその剣を蹴って彼女の手に届かない距離を取ると、懐に飛び込んだ。鳩尾に一発入れようと拳を握るが、ヒズメの行動はそれよりも早い。
「っらぁ!」
 和葉の拳を軽くいなして、地に突き倒す。口の中に砂が入って、和葉は完全に頭にきた。
「このぉ!」
 相手を地に倒して油断したヒズメの足をかけて、同じく地に倒す。おいおい、とヒビキの呆れた声が聞こえたが、女の勝負を男が止めることはできない。二人はそのまましばらく取っ組み合いの泥仕合を繰り広げた。
 互いに砂まみれになりながら技をかけ合い、最初に根を上げたのはヒズメの方だった。
「ああ、もうめんどくせー!」
 ヒズメは和葉の腹を蹴って立ち上がると、懐から多数の小型のナイフを取り出し、両手の指に挟んだ。和葉が立ち上がる前に、「くらいやがれ!」と気合を入れる。
「こらこら!」
 和葉は刃物が飛んでくる想像に身を固めたが、傍で成り行きを見守っていた男二人が間に入ってそれを止めた。サメギは無言でヒズメの頭を殴り、その手からナイフを取り上げて目を眇めた。
「飛刀を出すな」
「だって、兄貴!」
「本気を出すまでも無いと言ったのはお前だ」
 サメギが静かに言うと、ヒズメは痛いところを刺されたのか、むっつりと黙りこんだ。和葉はその様子を見ながら、ヒビキの手を借りて立ち上がる。殴られ蹴られた全身がじくじくと痛み、和葉もむっとして黙りこむ。ヒビキがそれを見て笑った。
「もっと修業が必要みたいだな、和葉。せめてヒズメと真っ当に剣で勝負できるように」
「負けたわけじゃないもん!」
「あたしだって!」
 和葉とヒズメは互いに睨み合った。その様子の何がそんなに面白いのか、ヒビキも、サメギまでもが笑いだす。「笑わないでよ!」と言った言葉が気に入らない相手と重なって、和葉はますますむすくれた。
「――でも、貧弱じゃないってことはわかったでしょ」
 ヒズメはふん、と鼻を鳴らしただけで答えた。その態度を咎めようとしたのか、サメギが口を開いた時だった。
「敵衆!――蟲兵が出たぞ!!」
 弾かれる様にしてサメギが駆けだした。その後を追う様にして、ヒズメが和葉を一睨みしてから走り出す。和葉は指示を仰ぐようにヒビキを見上げた。ヒビキの顔は先程の笑みの影が消えて、厳しく引き締まっていた。
「まずいな……血の臭いがする。動けるか、和葉」
「うん。平気」
 和葉の鼻には何も臭いは感じられなかったが、ヒビキには何かしら感じるものがあるらしい。
「行くぞ。南の駐屯地だ」

―――――

 鍛錬場や武器庫から少し離れた南の駐屯地は、蟲の一族の集落から一番近い最前線の地だ。ジェイムはその最前線を奇襲し、求める顔を探して進撃していた。ざわざわと乗り物の蟲がジェイムに語りかけてくるのを、ジェイムはあえて無視した。
「あああああ!」
 雄たけびを上げて斬りかかってくる憎い相手を切り捨て、蟲に食わせる。次々に現れるそれらの顔を見ては落胆し、興味を失って倒していく姿を、男女が同じ蟲に乗って、傍近くで見つめていた。一人は中年だが爺のように白いひげを生やした男、もう一人は銀髪に緑の目の艶めかしい美女だ。
「若。今日こそは、赤の一族が隠し立てしている円卓の王を抹殺できましょうな」
 無心で剣を振るジェイムに向かって、男が声をかける。ジェイムはうんざりしながら、男を振り返った。
「貴様は黙っていられんのか。俺の邪魔をするな」
 ジェイムと同意見なのか、ふう、と女が溜息をついた。男は蟲にまたがったまま、興奮したようになおも言い募る。左手に浮かんだ『妖蟲』の王印が、これ見よがしにさらけ出される。
「若には必ず覇王になっていただかねば!さすれば黒蟲区は覇王の国となり、トロイドのような栄華を極めることもかないましょう。探し人はその後、ゆっくりと探せばよろしいのです。何故、毎回毎回、種族を問わず若い少年を攫っては、何もせずに殺すのです」
 何もせずに。その言葉の裏に隠された下種な考えに、ジェイムは薄く笑う。
「貴様が男色だとは気付かずにすまなかった。用無しどもは貴様の元へ届ければよかったのだな」
「若」
 女が咎めるような声を出したので、ジェイムは手を伸ばして、女を誘った。女は逆らわずに、ジェイムの乗る蟲に飛び乗った。その背を抱いて、ジェイムは囁く。
「ジル……気を悪くするな」
 ジルの肉感的な唇に己の唇を押しあてながら、また一人、赤の一族を蟲に食わせる。ふと、視界に入った物を見て、ジェイムは口端を吊り上げる。
「マオラ」

―――――

 

 その光景を見た時、和葉は自分が地獄に迷い込んだのではないかと思った。赤茶色の砂が色を濃くし、鮮血に染まる大地には、醜悪な大小の蟲がざわざわと這いまわり、奮闘する赤の一族の戦士たちを次々と呑み込んでいく。和葉は足が砂に縫い付けられたような心地がした。動けない。
 ヒビキはそんな和葉を痛ましそうに見てから、大剣を構えて蟲とそれを操る蟲の一族の蟲兵たちを切り捨てていった。
『きっと大丈夫』
 和葉は雅の言葉を思い出してから、震える手を腰の剣に添えた。近くで、ヒズメが飛刀と呼んでいた武器を使って懸命に闘っているのが見えた。さっきは相打ちだと思った。
(ヒズメには、まだまだ敵わない)
 剣を取り、敵を倒すことを偉いと思ったことはない。日和見な生活を送ってきた平和主義者の現代人である和葉はむしろ、このような戦いを行うことこそが偉いことの反対にあるものだと思っている。けれど。
(戦わなくちゃ。――でも、なんで?)
 恐ろしい。帰りたい。なんでこんな世界のために、自分を拒絶した赤の一族のために戦わなければならないのだ。不条理だ。割に合わない。こんなことになんで巻き込まれたの。
 ぐるぐると、考え出したら止まらなかった。泣きそうになる。
(雅。雅、ごめん。私、やっぱり無理だ。殺せない。殺されたくない。怖い)
 ぽん、と頭を軽く叩かれた。油の足りないブリキの人形のように振り返ると、昨日散々和葉をこき下ろした赤の一族の族長が、眉を下げた笑みを浮かべて和葉を見下ろしていた。
(なんで、こんな状況で笑えるの)
 マオラはすでに血まみれだった。怪我をしたのか、返り血なのかわからない。和葉はそれを指摘しようとしたが、声にならなかった。マオラが和葉の、剣に添えられたままの手をそっと離させる。その時のマオラの表情を見て、和葉はぽろりと涙をこぼしてしまった。
「さがってなさい。大丈夫だから」
(ああもう、私の馬鹿。バカバカバカ)
 何故彼女が和葉をこき下ろしたのか。ヒズメやサメギが馬鹿にしたのか。分かってしまった。分かって、情けなくなった。
 赤の一族は戦闘民族だ。長年蟲の一族と争いを繰り返していて、戦えない者や戦うことを怖がるような者はいない。和葉とは生まれ育ってきた環境が違う。彼らは教えてくれていたのだ。迷いや恐れがあり、このような大事な局面で竦み上がるくらいの覚悟ならば、始めから戦うことなど選ばなければいいのだと。無闇に命をなくす危険を冒す王様など、赤の一族の王にはなりえないのだ。拒絶されて当然だ。
(私、王様になりたいわけじゃない。シルヴィスが協力してくれって言ったから。雅がきっと大丈夫だって言ったから。――でも、これじゃ駄目だ)
 マオラは和葉に物陰に潜んでいるように言ってから、走り出した。その背を目で追うと、見覚えのあるターバンがいた。
「ジェイム!」
 マオラの声が凛と響いた。
「もうやめましょう。戦いを繰り返してなんになるの。あんたが攫って行った子どもたちを返してくれれば、私たちはすぐに領土に戻るわ。だから――」
「馬鹿め」
 ジェイムがマオラの声を遮って答えた。
「いまさら何を言う。この二カ月の貴様は前にも増しておかしいな。いったい誰に入れ知恵されたか知らんが、俺は貴様ら一族を根絶やしにするまで戦うのをやめない」
「あんたがやってるのは殺戮よ!」
「やられたことをやり返しているだけだ。何が悪い?貴様の父親や母親、その他大勢が俺や俺の同胞にした仕打ちを忘れたか」
「――それでも!それでも、子どもたちは関係ないわ!」
「いまさらだ。子どもはとうに殺した」
 和葉は衝撃を受けた。マオラもまた、和葉以上の衝撃を受けているようだった。しっかりと立ってジェイムと対峙していたマオラは、不意にふらりとよろけ、腰に佩いた剣に手をかけた。
「嘘よ……」
「用済みの子どもは掃いて捨てた」
「――っよくも弟たちを!」
 マオラの抜いた剣は、周囲で蠢いていた蟲たちが跳ね飛ばした。ジェイムの近くに控えていたひげの生えた男が動き、彼女に剣を振り下ろす。遠くで、彼女を案ずる声が――悲鳴が、聞こえた。
 和葉が一番、近い。
 思ったとたん、和葉は走り出していた。迷いも恐れも全て頭から吹き飛んで、昨日見たヒビキの姿が思い浮かぶ。天に昇る火柱。
「和葉!」
 誰かが和葉の名を呼んだ。和葉はそれに気を留めず、右手を男に突き出した。ぶわりと熱風が巻き起こり、グローブを焼き切って手の平から熱いものが迸る。
「ぎゃあああ!!」
 火柱は真っ直ぐ男に向かい、男の半身を焼いた。男は恐ろしい悲鳴を上げて、砂の上を転げまわる。マオラはその隙に己の剣を拾って、和葉を見た。
「あんた……」
「あんたって最低!」
 和葉はジェイムに向かって叫んだ。
「美少年好きって、何よ、殺すために捕まえたの!?おかしいよ!許せない!」
 いきなり現れて好き勝手に喚く和葉に驚きもせずに、ジェイムは笑みを浮かべた。
「殺すためじゃない。探すためだ。――お前を」
「ああ!」
 ジェイムが手を伸ばした時、砂の上で転げまわっていた男が叫んだ。
「若、若!この、この少年、右手に王印を持っております!」
 は、として見ると、炎の魔法を使ったときに焼き切れたグローブの隙間から、『背中合わせの君』が覗いていた。
「早く殺さなければ、若、栄華が、覇王が、――若……?」
 ジェイムが蟲から降りざま、剣で男を切り裂いた。ぐえ、と男は呻いて、地に倒れて動かなくなった。
「な、」
 誰もが状況を理解できないでいるなかで、ジェイムが和葉に微笑みかける。その瞳は暗く、言いようのない感情が見え隠れしている。和葉はこんな笑みを見たことが無かった。
「殺す、か……」
 ジェイムは独り言のように言った。くく、と喉の奥から笑い声が漏れた。
「俺が和葉を殺せるわけがあるまい……。十二年も待って、漸く会えたのに」
「私を知ってるの?」
 愚問だとでも言いたげに、ジェイムは口端を吊り上げた。ざわざわとジェイムの足元に蟲が集まってくる。
「捕えろ」
「撤退よ!」
 ジェイムとマオラの指示が重なった。近くまで来て蟲兵と戦っていたヒビキが飛んできて、和葉の腕をぐいと掴んで引き寄せる。ぐん、と視界が高みまで登った。
「わー!?」
 気がつくと、和葉はヒビキの肩に腹を乗せ、俵抱きにされて移動していた。ジェイムの姿がぐんぐんと遠のいていく。それとは逆に、無数の蟲が近づいてきていた。
「ヒビキー!追いつかれるよー!」
 ぞっとして叫ぶと、ヒビキはち、と舌打ちした。並走していたマオラが後ろ手に左手を突き出す。
「うわあああ!」
 ジェイムの命を受けて和葉を追っていた蟲兵が炎に包まれる。
「北駐屯地にも伝令よ!紅狼の砦に戻るわよ!」
「撤退!撤退だ!」
 サメギやヒズメの声も聞こえる。和葉は己の足で走ろうとしたが、ヒビキが許してくれなかった。漸くラクダに乗って赤の一族が安全圏へ入ると、先程までいた砂漠は、炎と血の色で赤黒く染まっていた。

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