落ちてきた二人


 ――イリシリス神殿蔵書「イリシリスの勇者王」より
『 その昔、世界の覇権は魔王ナヴァールによって握られていた。
ナヴァールは民を顧みない暴君であった。殺戮を好み、世界を争いで満たし、大地を血で赤く染め上げた。
度重なる戦争で民は困窮し、天に救いを求めた。暗雲は無情な雷雨を民に与えたが、その願いを聞いたイリシリスの緑竜は世界を憂い、涙を流した。朝も昼も夜も緑竜は泣き続け、涙はシェダイ湖となって豊かな森をつくった。
豊かな森を手にしたイリシリスの民はナヴァールの支配下で繁栄し、偉大な勇者アッシェール・ノヴァを生みだした。
アッシェール・ノヴァは父である緑竜へ、ナヴァールを倒す約束をした。
緑竜は彼に呪いを跳ね返す天命のツルギを与えた。
激闘の末ナヴァールを討ち取ったアッシェール・ノヴァは、褒美を与えると言った緑竜に、世界の覇権を願った。
緑竜はその願いを聞き入れた。かくして、勇者は覇王となり得たのである』
 ――トロイド王立図書館蔵書「百年の奇跡」より
『 緑竜は勇者の願いに応え、百年の奇跡を贈りました。勇者はそれはそれは喜んで、己の家を切り倒して大きな円卓を作り、緑竜に捧げました。緑竜もそれはそれは喜んで、勇者と一緒に円卓でお茶をしました。暖かくてほろ苦い味がしました。
次の日、緑竜と勇者は円卓に五人の優しい王様を招待して、みんなで平和な世界を願いました。世界は幸せに満たされ、百年は千年、万年と続いていきました。
めでたし、めでたし。』
 ――同図書館蔵書「キングメーカー」より
『 来るべき円卓の日が近づいている。
百年に一度のこの機会に、世界の覇権は左右される。緑竜の巫女に指名されたキングメーカーたちは、自らの王を選出し、円卓の地へと導かねばならない。
円卓の王の右手の甲と、キングメーカーの左手の甲に共通する王印を円卓の席に刻むことができるのは、十組のうち五組だけであり、各地から必ず一組が輩出されなければならない。
緑竜は円卓の日に百年の眠りから目覚め、次の百年を治める覇王に祝福の口づけを贈る。それによって、覇王はそれより百年の時を生きながらえる生命力を与えられる。』
 ――トロイド王国瓦版記事「次なる覇王は誰か」より
『 覇王レイヴィス(トロイド王国前国王・享年百二十九歳)が身罷られてちょうど半年。次なる円卓の日は、二年後に迫っている。円卓の王とそのキングメーカーは現時点で八組の存在が確認されている。はたして、次に百年の覇権を手に入れる王はいったい誰なのか。我が国に覇権は戻ってくるのだろうか。
円卓の王は東エナス大陸、西エナス大陸、イナス大陸、獣人族、魔族より二組ずつ輩出される。特に注目したいのが、我が国を含む東エナス大陸の円卓の王である。――』

―――――

 青年はそこまで読んで、記事をぐしゃぐしゃと丸めた。それを見ていた少女は、無表情の面に僅かに不快の感情を浮かべた。肩の上で切りそろえられた銀髪に藍色の瞳、日を浴びたことがないのではないかと疑わせる白磁の肌、白い法衣を纏った姿はまるで天使のように可憐で儚い。その彼女が負の感情を表情に出すと、青年はいつも過度に心配してしまう。
「それ、ウィンの」
「すまない」
 抑揚無く責める声に、青年は素直に謝った。皺のできた記事を卓において手で引きのばし、耐えきれなかった溜息をひとつついた。
「やめて。幸せが逃げる」
「……なんだ、それは」
「ヒビキがこの間言ってた。溜息をついちゃダメ」
 青年は己の側近の一人を思い浮かべて、またしても溜息をつきそうになったが、目の前の少女が不意に真剣な表情で見上げてきたために呑み込んだ。
「シヴィ、ごめんね。ウィンがきっと悪いの」
「何故だ。お前は何も悪くない。私が狭量なだけだ、気にするな」
 少女は瞳を伏せた。髪と同色の銀色の睫毛が僅かに震えたのを見て、青年は慰めるように少女の頭を撫でた。
「お前は巫女としてよくやっている。緑竜もきっと認めてくれるさ」
「でも、シヴィを悲しませてる。それに、残りの四人の居場所が分からない。どんなに探しても、水晶玉に映らない。このまま円卓の日が来たら、きっと緑竜を失望させてしまう」
「大丈夫だ」
 青年は力強く宣言した。
「私が必ず、探し出す。そして、円卓の席を相応しい形にする。この『百年の奇跡』のように」
 卓に置かれたままだった本を手に取り、口端を上げると、少女は涙を浮かべた目を笑みの形に細めた。
 その時、部屋の真ん中に据えられていた、少女の頭ほどもある大きさの水晶玉が明滅した。驚いて二人で駆け寄ると、水晶玉は赤く、青く、最後に稲妻のように光って元に戻った。
「紋様が見えたか?」
 少女は頷いて、両の掌を水晶玉に翳して目を閉じた。
「『背中合わせの君』――『雷雨』」
「『背中合わせの君』?」
「それは魔族。そしてイナス。顔も見えた」
 少女の顔は先ほどとは一転して、自信に溢れているように見えた。
「今から二月後にこの世界に現れる」
 青年は眉を寄せた。
「世界?」
「ウィンもよくわからない。でも、必ず落ちてくる。それも西エナスに」
「異世界から訪れるということか?」
「そういうこと」
 少女の言葉は共通語に慣れていないために片言で意味が分かりづらいが、青年にはすぐに理解することができた。
 青年は踵を返し、外套を羽織った。少女は青年の次の行動が読めるのか、静々と青年に寄ってきて、ごく小さく、「いってらっしゃい」と呟いた。
「ああ。イナスの方は頼んだ」
「うん。頑張る」
「――いってきます」
 はにかんだ少女の頭を再び一撫でして、青年は部屋から出た。
 側近の二人を呼び出し、命じる。
「西エナスだ。行くぞ」
「あんな治安の悪い所に?」
「だからだ」
 不満を漏らす大男にぴしゃりと言い放ち、問答無用で引きずるように片方の側近に命ずると、背後で悲鳴が聞こえた。
 青年は助けを求める声に耳を貸さず、足早にその場を離れた。
 来るべき、円卓の日に向けて。

   1

 誰もが一度は夢見るはずだ。
 綺麗なお姫様に王子様、大きな竜と厳しくも優しい仲間たち。心躍る冒険の日々に身を投じ、スリルとサスペンスを経験したいと願うことが、一度くらいはあるはずだ。
 しかし、現代社会の規範に縛られ、抑圧された好奇心を持て余す人々の心を僅かながら癒すのは、書籍や映画の中の冒険たちだ。あくまで作り物の世界であって、間違っても現実には存在しない。
 その世界は、誰にでも夢を与えるが、けして手の届かない場所にある。
(……変な夢、見ちゃった)
 和葉は今しがた見た、あまりにもリアルな夢を思い出しながら、オレンジ色のカーテンを引いた。憂鬱な月曜日の到来を示す朝日が、無情に和葉の狭くも広くもない部屋に満ちた。
(金髪の綺麗な王子様が話しかけてきたと思ったら、グロテスクなでっかい虫がわらわらとわいてきて……うわ。もう考えるの、やめやめ!)
 眩い太陽の光を浴びて体を伸ばし、階下へ降りて洗面台の前に立つ。備え付けの鏡に映ったショートカットの黒髪と同色の黒い瞳が、平々凡々な和葉の容姿をさらに平凡にしている気がした。唯一際立っていることは高い身長と、考えたくもないが――薄い胸だろうか。
 夢で見た金髪の王子様の方が女の和葉よりもよっぽど綺麗で魅力的だ。和葉は己の夢の中の存在にすぎない彼に少しだけ嫉妬した。
 妹の寝坊をからかう兄に喧嘩腰で対応しながら、和葉は母の作った朝食を食べた。
 家の前で待っていた青年に、和葉は駆け寄った。
「ごめん、善兄!葉兄と話し込んでて・・・・・・」
「ったく、置いてくぞ」
 にやっと笑って歩き出した青年――善を和葉はほっとして追いかけた。
「ま、待ってよ!まだ時間あるじゃん」
「馬鹿!急がないとあの子の近くで立てないだろ」
 和葉はむっと口を尖らせた。
「近くで立ってるだけって。善兄のムッツリ」
「んだとコラ」
 ぎろりと睨みつけてきた善に和葉は一瞬ひるんだが、すぐに反撃する。
「そんなに好きなら告白すればいいんだよ!」
 そしてさっさと振られちゃえ、と和葉は心の中で舌を出した。
「うるせぇガキの癖に!」
 バス停についてからも、和葉と善は睨み合ったまま言い合いを続けていた。
 和葉と善は家が隣同士で、幼いころから家族ぐるみの付き合いをしてきた。なので、この言い合いも、本当に頭にきてやっているわけではない。喧嘩するほど仲がいいということだ。
 けれど和葉はただ仲がいい、という関係は嫌だった。幼馴染という関係が憎かった。和葉は、いつの間にか善のことを、幼馴染以上の存在として見ていたのだ。
 整った顔立ちに頭も良くてスポーツ万能。ずっと傍にいて、好きにならないわけがないと思えるほど、善は魅力的な青年だった。
「ガキ?善兄、私より一つ上なだけじゃん!馬鹿なんじゃないの?」
「何言ってんだ。精神年齢プラス、体型も幼児並だろうが!」
「・・・・・・あの」
「はぁぁ?ひっど、気にしてるのに!いくらモテてても、そんなんだから長続きしないんだよ!」
「お前なんか馬鹿と阿呆と元気しかとりえがねえくせに!」
「あのぉ」
「それって」
「あの!」
 和葉がそれって褒め言葉『元気』しかないじゃんか、と言おうとした時、突然――声をかけてきた本人には突然ではないのだが――二人の背後から声が聞こえてきた。
(あっ、この子!)
 いつの間にか目当てのバス停についていたようで、そこには何時も一緒のバスに乗る、善の憧れの人が立っていた。小柄で、お姫様の様な長いウェーブがかった栗色の髪に、琥珀色の瞳。紺色のセーラー服が似合っている。
 確か名前は、藤堂雅だったか。
 彼女は自分より頭一つ分高い和葉の顔を見て、何かを差し出した。
「これ、落ちましたよ」
 ずっと声をかけ続けて虫の居所が悪くなったのか、声も仕草もぶっきらぼうだ。
「あ、ありがとう」
 善と言い争っていて気付かなかった。差し出された少女の手には和葉の赤い蝶柄のハンカチが乗っている。それは和葉の最も大切なもののひとつだった。
 和葉はハンカチをそっと受け取った。
「よかった、拾ってくれて」
 和葉がにっこり微笑むと少女は照れくさそうに頬を紅く染めた。
「いいえ。落ちていたものを拾っただけです」
 そう言った少女に和葉は好感を持った。
(人見知り強そうだけど、なんか可愛い子だなあ)
 和葉と善の高校の近くにあるお嬢様学校に通っているお嬢様のくせに、バスで通学しているところも、妙に親しみが持てる。ちらりと横目で善を見ると、顔を赤くして少女を見ていた。
 悔しい。
 悔しいから、善より早くこの子と仲良くなろう。和葉は持ち前の、我が道を行く奔放な発想で決意した。
「私は崎山和葉。あなたは?」
 名前はすでに知っていたのだが、とりあえず訊ねた。
「藤堂雅です」
 再度横目でちらりと見ると、善が悔しそうにしている。
 勝った。
 和葉は勝利を確信した。
「お、俺は倉前善です、雅さん!」
 バスは遅れているのか、時間になっても一向に来る気配がない。仲良くなろうという自分の決意に従って、和葉は雅に話しかけて質問攻めにしてみた。
「じゃあ、一人っ子なんだ。お嬢様なんでしょ?なんでバスで通ってるの?その髪可愛いね、地毛?」
 お高くとまった嫌な女を想像していたが、雅は意外にも心の広い少女だった。和葉の怒涛の質問に、困った顔をしながらも答えてくれる。
 あまりにも雅を振り回す和葉の態度に、注意しようとしてか、善が口を開いた時だった。和葉の視界がぐらりと揺れた。
(地震?)
 ぐらり、とまた揺れた。途切れ途切れに訪れる揺れに、和葉は頭を抑えた。地震ではない。めまいだろうかと思って見ると、目の前の雅と善の様子もおかしかった。
「揺れてる……?」
 雅が小さく呟いた。
 揺れが大きく、間隔が短くなり、何かが共鳴し合うかのような音が聞こえる。揺れと耳鳴りに、堪らず和葉がしゃがみ込むと、雅が小さな悲鳴を上げた。
「!」
 燃えるような熱さが右手の甲を襲った。内側から何かが這い出て、焼いていくかのような感覚だ。
『背中合わせの、君』
 涼やかな少女の声が聞こえた気がしたが、和葉はそれ以上意識を保っていられずに、瞳を閉じた。
―――――
 和葉はそっと、目を開けた。そこは、今まで三人で談笑していたバス停ではなく、灰色の石ころが無数に落ちている岩場だった。立ち上がって周りを見回すと、赤茶色の砂場が広がっていた。体感温度は非常に高い。
 自分に起こっている現象が信じられずに混乱した和葉は、ごつごつした岩肌に座り込んだ。隣には先ほど親しくなったばかりの小柄な少女が倒れている。
「どこ?」
 誰に問うでもなく、呟く。
「ん……和葉さん?」
「雅!気が付いた?」
 雅は周りの景色を見た。大きな瞳が見開かれる。
「何……、サファリパーク?」
「ライオンいるかなぁ」
 そんなところに投げ込まれたら死ぬ自信がある。和葉は頬を引きつらせた。
「それは冗談として、ここ、どこでしょう?見たところ砂漠っぽい感じですけど」
「なんか、地平線が見えるよ。日本にこんな広い砂漠なんてあったっけ?――まさか、誘拐されて捨てられたんじゃ――善に〜い!助けて〜!」
「誘拐……あり得そうで怖いですね」
 雅は財閥の令嬢である。誘拐の線は無くもないが、それにしては妙である。人質を砂漠に置き捨てる誘拐犯なんているだろうか。
「とにかく、このままじゃ干からびちゃう。どこか日陰になっているところを探そうよ」
「……はい」
 立ち上がろうと熱い岩場に手をついたところで、和葉は右手の甲の異常に気がついた。先程焼けつくような痛みを感じたその場所に、妙な模様ができていた。
 白く描かれたそれは、大きなハートマークのように見えた。よく見ると、実際は二匹の獣が背中合わせになるようにして、反対方向を見つめている構図になっている。獣は犬か、狼のように見えた。
「何これ」
 まったく見覚えのないそれに、和葉はぞっとした。暑さのために流れる汗とは違うものが、冷やりと背中を伝っていった。和葉の右手を見た雅が、確認するように左手を見ると、その甲にも同じ構図の模様が描かれていた。
「誘拐犯の仕業……?」
「擦っても落ちません。油性ペンでしょうか」
 和葉が岩場から降りると、足が熱い砂に埋まった。ひりひりと火傷するような熱さに、ハイソックス越しに足首が触れて、これが夢ではないのだということを実感させる。泣きたくなるのを堪えて、雅を岩場から降ろした。
 手の模様のことはひとまず考えないことにして、ローファーの中に砂が入ってくる不快感に耐えながら、一歩踏み出す。その和葉のブレザーの裾を、雅が軽く引いた。
「やっぱり、ここで助けを待っていた方がいいんじゃないでしょうか。この暑さの中歩き回っていたら、余計に危ないと思います」
 それもそうだ。和葉が頷こうとした時、周囲の砂が大きく波打った。
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